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BIZEN中南米美術館

(びぜん ちゅうなんべい びじゅつかん)

BIZEN中南米美術館は、岡山県備前市日生町に位置する私設美術館です。この美術館は1975年(昭和50年)3月に「財団法人森下美術館」として開館し、2005年(平成17年)に現在の名称に改称されました。日本で唯一の中南米に特化した考古美術館であり、そのコレクションは非常に貴重な文化遺産とされています。

収蔵品の概要と展示内容

BIZEN中南米美術館には、古代アメリカ大陸で作られた土器、土偶、織物、石器など、約2300点の収蔵品があります。これらはメソアメリカ文明やアンデス文明を中心に、中南米全域の古代文化を網羅する貴重な遺産です。

特に、メキシコ、グアテマラ、ペルーなどの古代文明の美術品は日本でもよく知られていますが、ドミニカ共和国やエクアドルなどの美術品は、BIZEN中南米美術館でしか見ることができないものも多く、学術的にも非常に価値のあるコレクションとなっています。

体験型展示とイベントの充実

BIZEN中南米美術館では、ただ展示品を見るだけでなく、体験型の展示やイベントが充実しています。例えば、マヤ文明の香を焚いたり、民族衣装の着用体験、古代のチョコレートを作るイベントなどが開催されています。また、館長自らがオカリナを演奏するなど、来館者が中南米文化に親しむための工夫が施されています。

森下グループと創設家の背景

美術館の基盤となった森下グループは、森下精一が岡山県和気郡日生村(現・備前市日生町)で設立した企業グループです。森下精一は1904年(明治37年)に生まれ、父親の雑貨販売と漁網製造を手伝いながら事業を拡大しました。1929年(昭和4年)に父親の跡を継ぎ、独立後には東洋麻糸紡績(現・トスコ)の特約販売店として成功を収め、事業を西日本から朝鮮半島にまで広げました。

1947年(昭和22年)には有限会社森下製網所を設立し、1956年(昭和31年)には株式会社へと変更しました。森下グループは漁網の製造や販売を主軸としながら、ゴルフ練習場やフェリー運航など多岐にわたる事業を展開しました。

しかし、1996年(平成8年)に森下精一の次男、矢須之が森下グループ総帥に就任した後、過大な投資による経営の悪化が進み、2004年(平成16年)にはグループ全体の売上高が低迷しました。最終的に、森下グループは2社に集約され、岡山県瀬戸内市長船町磯上に拠点を移し、事業の再編成を図りました。

美術館の設立と成り立ち

森下精一は、商用で南米を訪れた際に中南米の古代文化に触れ、その魅力に取り憑かれました。彼はこの地域の美術品を収集し、そのコレクションが中南米10カ国の貴重な文化遺産であることが明らかとなりました。この結果、森下精一は収集品と施設を一般に公開することを決意し、1975年3月に「財団法人森下美術館」を開館しました。

美術館の外壁は、約1万6千枚の備前焼の陶板で覆われており、これは岡山県重要無形文化財である藤原建氏が制作したものです。美術館の設計は、日本総合設計事務所の鈴木登氏が手がけ、内装は現代芸術研究所の平野繁臣や長崎哲士が指導しました。

BIZEN中南米美術館への改称とリニューアル

2005年、森下精一の孫であり、森下一之介の息子である矢須之が理事長兼館長に就任しました。この時、森下美術館は「BIZEN中南米美術館」に改称され、展示形式のリニューアルが行われました。展示にはコーポレートアイデンティティが導入され、体験型の展示が行われるようになりました。これにより、入館者数が増加し、美術館の人気が再び高まりました。

アクセス情報と観光地としての位置付け

美術館は、日生町にあり、岡山県内の主要な観光地を巡る定期観光バスルートのひとつに組み込まれていました。開館当初は年間4,000人の入館者がありましたが、現在ではリニューアルの成果もあり、入館者数がさらに増加しています。

日本国内外を通じて有数の古代中南米美術のコレクションを誇るBIZEN中南米美術館は、学術的・美術的に貴重な存在であり、中南米の古代文化に触れる貴重な機会を提供しています。

Information

名称
BIZEN中南米美術館
(びぜん ちゅうなんべい びじゅつかん)

岡山市・牛窓・備前

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