西大寺会陽(裸祭り)は、日本三大奇祭の一つとして広く知られており、毎年2月の第3土曜日に開催されます。この祭りは、新年の祈祷である「修正会」を起源としており、その歴史は500年以上にわたります。修正会は、東大寺良弁僧正の高弟である実忠が創始したもので、西大寺には開山の安隆が伝えました。修正会が現在のように、裸にまわしを締めた男衆が宝木(しんぎ)を奪い合う形になったのは、1510年(永正7年)に遡ります。
1510年、僧侶の忠阿が修正会の結願の日に参詣者に守護札を投与した際、多くの参詣者がこの札を求めたため、やむなく参詣者の頭上に守護札を投げ入れました。参詣者たちは札を奪い合い、身体の自由を確保するために裸になったことが、現在の会陽(裸祭り)の形となるきっかけでした。これが会陽の始まりとされており、以後、500年以上続く伝統行事となりました。
現在、会陽(裸祭り)は毎年2月の第3土曜日に開催されます。祭りの神事は3週間前から始まり、当日までにさまざまな儀式が行われます。まず、「宝木取り」と呼ばれる儀式で、宝木の材料を如法寺無量寿院(岡山市東区広谷)に受け取りに行きます。翌日には「宝木削り」が行われ、宝木が形作られます。そして、会陽当日までの14日間、修二会の祈祷が続けられます。
会陽当日の夜になると、まわし姿の裸の男衆が「ワッショ、ワッショ」の掛け声とともに集まり、牛玉所大権現の裸の守護神を参詣したあと、本堂に向かいます。そして、14日間の修二会の祈祷が結願した深夜、本堂の御福窓から香を焚きしめられた2本の宝木が男衆の頭上に投下されます。この宝木を手にした者が「福男」となり、その年の幸運を象徴する存在となります。
宝木を手にし、仁王門の外に出た者が福男として認められます。福男は、主催者である岡山商工会議所の西大寺支所内に特設された仮安置場へ宝木を持ち込み、鑑定を受けた後、正式に福男として表彰されます。この宝木はその後1年間、祝い主のもとで祀られる習わしです。
会陽(裸祭り)には、中学生以上の男性であれば、刺青や飲酒をしていない限り、誰でも参加することができます。参加者は事前に西大寺観音院および西大寺会陽奉賛会に申し込みをし、まわしを購入する必要があります。また、身に着けている眼鏡や貴金属などをすべて外すことが求められます。
かつては宝木の投下は午前0時に行われていましたが、2010年からは午後10時に変更されました。現在では「少年裸祭り」も開催されており、小学生以下の子供たちが参加することも可能です。
会陽は「男の祭り」として知られていますが、実際には女性も重要な役割を果たしています。午後7時ごろ、白衣をまとった女性たちが西大寺境内の垢離取場(こりとりば)で冷水に入り、大願成就を念じて水垢離を行います。また、祭りの開始を告げる「会陽太鼓」の打ち手も全員女性です。彼女たちは心の炎を燃やしながら、男たちを鼓舞するための太鼓を打ち鳴らし、祭りを盛り上げます。
会陽当日の夜、御福窓から投げ入れられる宝木をめぐり、約10,000人の男衆が激しい争奪戦を繰り広げます。この光景は圧巻であり、祭りのクライマックスとして多くの観客を魅了します。裸の男たちが「ワッショ、ワッショ」と掛け声を上げながら宝木を奪い合う姿は、勇壮で力強く、その熱気は境内を埋め尽くす3万人の参拝者をも巻き込む勢いです。
祭りの当日には、少年裸祭りや会陽太鼓の演奏、奉納演舞が行われ、19時からは花火の打ち上げもあります。また、境内には多くの露店が並び、祭りの雰囲気をさらに盛り上げます。
西大寺会陽(裸祭り)は、500年以上続く伝統行事であり、その独特な風習と激しい争奪戦は、日本の文化を象徴するものとして国の重要無形民俗文化財に指定されています。この祭りは、勇壮な男たちの熱気と共に、毎年多くの参拝者や観光客を引き寄せる、岡山県を代表する一大イベントです。