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最上稲荷

(さいじょう いなり)

最上稲荷は、岡山県岡山市北区に位置する日蓮宗の寺院で、正式名称は最上稲荷山 妙教寺です。その所在地が岡山市北区高松地区にあることから、高松稲荷(たかまついなり)とも称されています。

特別な神仏習合の祭祀形態

最上稲荷は、仏教の流れを汲む貴重な稲荷として知られています。寺院でありながら鳥居を備え、しめ縄が架けられた神宮形式の本殿(霊光殿)を持つなど、神仏習合時代の形態を色濃く残しています。そのため、伏見稲荷豊川稲荷と並び、日本三大稲荷の一つとされており、毎年正月三が日には岡山県内最多の約60万人が参拝に訪れます。

吉備の国と最上稲荷

最上稲荷が位置する吉備の国は、古代から豊かな文化を誇る地であり、雄大な造山古墳群や桃太郎伝説の舞台としても有名です。この地域は戦国時代にも多くの歴史的出来事に彩られ、現在でもその豊かな自然が人々の郷愁を誘います。そんな風光明媚な土地に佇む最上稲荷は、1200年以上にわたって人々の営みを見守り、祈祷と供養を通じて平和と幸福を願い続けています。

歴史と概要

明治初年の廃仏毀釈を逃れた寺院

最上稲荷は、岡山県内で唯一、明治初年の廃仏毀釈の被害を免れた寺院として知られています。歴史のある寺院ですが、第二次世界大戦後に一時日蓮宗から独立し、最上稲荷教総本山妙教寺となっていましたが、平成21年7月に再び日蓮宗に復帰しました。

祈祷本尊

最上稲荷の祈祷本尊は、最上位経王大菩薩(稲荷大明神)で、法華経を象徴しています。像容は右手に鎌、左肩に稲束を背負い、白狐にまたがる天女の姿をしており、稲荷神の本地とされる荼枳尼天と同じ特徴を持っています。

創建伝承

寺伝によれば、報恩大師が天平勝宝4年(752年)に孝謙天皇の病気平癒の勅命を受けて、吉備山中の八畳岩で修法し、最上位経王大菩薩を感得したと伝えられています。また、後に桓武天皇の病気平癒祈願の功徳により、寺院が建立されました。これが現在の妙教寺の始まりとされています。

近世以降の再興と文化財

羽柴秀吉の中国進攻に伴い、一度戦火により焼失しましたが、江戸時代初期に再興されました。寛保元年(1741年)に建立された霊応殿本殿は岡山市重要文化財に指定されており、現在の本殿(霊光殿)は昭和54年に建造されました。

また、昭和26年に宗教法人法が施行された際、妙教寺は最上稲荷教として独立しましたが、平成21年に再び日蓮宗に復帰しています。

年表

最上稲荷の歴史における重要な出来事を以下にまとめます。

1950年(昭和25年)

山火事が発生し、仁王門が焼失。

1958年(昭和33年)

仁王門が再建され、金色仁王尊像と白狐像が建立されました。

1972年(昭和47年)

岡山市高松に高さ27.5mの大鳥居が建立されました。

2009年(平成21年)

岡山市が政令指定都市に移行し、所在地の地名が岡山市北区高松稲荷となりました。

2014年(平成26年)

仁王門の改修工事が完了し、記念式典が行われました。

文化財

岡山市指定重要文化財

霊応殿本殿が岡山市指定の重要文化財に指定されています。

国の登録有形文化財

以下の建物が国の登録有形文化財に登録されています。

施設紹介

広大な敷地と三つのゾーン

最上稲荷は龍王山の懐に広がる広大な敷地を持ち、大きく三つのゾーンに分かれています。

祈祷ゾーン
文化財ゾーン
供養ゾーン

その他の施設

名物 ゆずせんべい

最上稲荷の名物土産であるゆずせんべいは、多数の製造元があり、参道で販売されています。

交通アクセス

公共交通機関

JR西日本吉備線(桃太郎線)の備中高松駅から約2kmの距離にあり、徒歩30分、タクシーで5分ほどです。正月三が日には、備中高松駅北口から最上稲荷参道口まで臨時バスが運行されます。

自家用車利用

最上稲荷には大型駐車場があり、初詣や節分などのシーズンには非常に混雑するため、公式ホームページで交通規制の情報を確認することをおすすめします。

主要なアクセスルート

Information

名称
最上稲荷
(さいじょう いなり)

岡山市・牛窓・備前

岡山県