岡山県 » 岡山市・牛窓・備前

具足山 妙本寺

(ぐそくさん みょうほんじ)

妙本寺は、岡山県加賀郡吉備中央町に所在する歴史ある寺院で、日蓮宗に属しています。山号は具足山、本尊は久遠の本師 釈迦牟尼佛です。この寺院は、日蓮宗の西国布教の重要拠点として「西身延」とも呼ばれ、その歴史と信仰の深さがうかがえます。桃山時代に建造された番神堂は、国の重要文化財に指定されています。旧本山は大本山妙顕寺であり、奠師法縁のもとに発展してきました。平成25年(2013年)には日蓮宗宗門史跡に指定されています。

妙本寺を中心とするこの地域は、ゆるやかな起伏をなす丘に農地が開け、樹林と歴史的遺産との調和がとれた風土景観を示しています。
地域の中心部には、モミの巨樹をまじえる樹林が形成されており、高木層にはモミの他、スギ、ヒノキ、アカマツ、ウラジロガシ、下層にはアオキ、シロダモ、サカキ、シキミなどが生育し、人為の影響を受けてはいるものの、暖温帯林の標徴種を豊富に有し、この地域の原植生のひとつであるモミ-シキミ群落として分類される貴重な樹林です。

妙本寺の歴史

妙本寺の起源は、鎌倉時代中期の建治元年(1275年)に遡ります。当時、伊達弾正朝義が当地の地頭として赴任し、龍ノ口法難を目の当たりにしたことをきっかけに日蓮に帰依したと言われています。朝義は弘安4年(1281年)に、自らの居館の北東に寺院を建立したと伝えられています。

寺院建立の前年である弘安3年(1280年)、朝義は日蓮を妙本寺に招こうと身延山を訪れましたが、日蓮は隠棲を理由にこれを断り、代わりに弟子の経一丸(後の日像)を使わすことを約束しました。しかし、日像も多忙を理由に当地を訪れることができず、永仁元年(1293年)に京都で朝義と面会した際に、大曼荼羅と三十番神を授けたと伝えられています。

伊達朝義は徳治元年(1306年)に66歳で死去し、その後、正和年間(1312年 - 1317年)には日像の高弟である大覚が妙本寺に赴き、この地を拠点に西国への布教活動を行いました。妙本寺近隣の寺院は概ね日蓮宗に改宗し、この地域の寺院や檀信徒は「野山法華」として知られるようになりました。

無住期間と伽藍の改修

妙本寺は、南北朝時代の元徳2年(1330年)から戦国時代の元亀元年(1570年)までの約240年間、無住の時期があったと伝えられています。この間に伽藍は大破しましたが、天正11年(1583年)に大規模な改修が行われ、その後も歴史の中で再建が繰り返されました。現在、毎年4月12日と9月12日には「妙本講」が開催され、多くの参拝者が訪れます。

妙本寺の文化財

国指定重要文化財

妙本寺番神堂

妙本寺の番神堂は、正式には「妙本寺鎮守三十番神堂」と呼ばれ、一間社流造の正面軒唐破風付き、こけら葺の建物です。室町時代後期の明応6年(1497年)に、吉田神道長の卜部兼倶が妙本寺七世の日具に感銘を受けて寄進したと伝えられています。現在の建物は桃山時代に建造されたもので、極彩色の彫刻が施され、その美しさと歴史的価値から昭和2年(1927年)に国の重要文化財に指定されました。

岡山県指定重要文化財

妙本寺本堂

妙本寺本堂は、当寺院が建立されたとされる弘安4年(1281年)または建治元年(1275年)に建造されたと伝えられています。しかし、無住期間中に大破したため、天正11年(1583年)に再建され、その後も幕末に改修が行われました。改修後は宝型造の屋根となっていましたが、平成元年(1989年)から平成3年(1991年)にかけて行われた解体修理により、当初の入母屋造に復元されました。この本堂は昭和31年(1956年)に岡山県指定の重要文化財に指定されています。

妙本寺出土備前焼壺・大甕

妙本寺の境内からは、37個の備前焼壺や大甕が出土しました。これらは様々な時代のもので、非常に貴重な文化財として評価されています。これに附属する瀬戸褐釉印花文瓶子と共に、平成10年(1998年)に岡山県指定の重要文化財に指定されました。

吉備中央町指定重要文化財

五輪の塔群

妙本寺の境内には、伊達氏(のちに野山氏と改称)の一族の墓石群である五輪の塔群があります。これらの塔群は、伊達弾正朝義の霊廟である「庄官堂」に隣接しており、地域の歴史を物語る重要な文化財です。

妙本寺の旧末寺

日蓮宗は昭和16年(1941年)に本末制度を解体しましたが、それ以前の旧本山や旧末寺は今でもその歴史を伝えています。妙本寺に関連する旧末寺には、次のような寺院があります。

Information

名称
具足山 妙本寺
(ぐそくさん みょうほんじ)

岡山市・牛窓・備前

岡山県