高梁市成羽美術館は、岡山県高梁市に位置し、美術館と考古学系博物館が一体となった複合施設です。この美術館は、岡山県初の町立美術館として1953年に開館し、1994年に現在の場所に移転して新築開館しました。郷土の洋画家、児島虎次郎の遺徳を顕彰し、地域文化の拠点として機能しています。
現在の高梁市成羽美術館は、世界的に有名な建築家・安藤忠雄氏の設計によるもので、地下一階、地上二階のコンクリート打ち放しの建物です。成羽陣屋跡の石垣上に建てられたこの美術館は、周囲の自然と調和し、美しい景観を提供しています。建物内は光と影のコントラストが時間によって変化し、訪れるたびに異なる表情を楽しむことができます。
高梁市成羽美術館は、建物そのものがアート作品としての存在感を放っています。コンクリートの壁面は周囲の緑豊かな自然と一体化し、訪れる人々に静寂と安らぎをもたらします。内部には流水の庭、レクチャールーム、喫茶室などの施設が整備されており、美術作品を鑑賞しながら、リラックスできる空間が広がっています。
高梁市成羽美術館では、児島虎次郎の遺作を中心に、彼が生涯にわたって収集した絵画や工芸品が展示されています。展示室には、児島の代表作である「登校」「紫苑と少女」「和服を着たベルギーの少女」「酒津の農夫」などが展示されており、彼の画業とともにその人柄や思想が伝わってきます。
児島虎次郎が数度にわたる海外旅行で収集したエジプトや中国、朝鮮の古美術品が展示されているオリエント展示室も見どころの一つです。特に、1920年代に収集された古代エジプトの遺物は、日本でも稀な早期のコレクションとして学術的にも高く評価されています。シャブティやアミュレットなど、時代を超えた芸術の歴史を感じさせる品々が並びます。
美術館内には、成羽地域で採掘された日本最古の植物群化石を展示する化石展示室もあります。世界的新種を含む約100種の化石が展示されており、成羽層群から産出したこれらの化石は、地球の歴史や自然の偉大さを伝える貴重な資料です。
高梁市成羽美術館は、1953年に「成羽町美術館」として開館し、1967年には2代目の建物で再開館しました。1994年には現在の建物が完成し、3代目として新たにスタートを切りました。そして2009年には、成羽町が高梁市と合併したことにより「高梁市成羽美術館」へと名称が変更されました。以来、地域住民に親しまれ、文化活動の中心として幅広い役割を果たしてきました。
高梁市成羽美術館には、児島虎次郎・絵画展示室、オリエント展示室、化石展示室のほかに、多目的展示室やレクチャールーム、ミュージアムショップ、カフェも備えられています。これらの施設は、芸術鑑賞だけでなく、教育活動や文化交流の場としても利用されています。
美術館が所蔵する作品には、児島虎次郎の111作品をはじめ、満谷国四郎や徳永仁臣などの洋画家たちによる絵画作品84点、30点の彫刻作品、そして考古学的価値の高い化石や古代美術品が含まれます。これらのコレクションは、美術館を訪れる人々に豊かな芸術体験を提供しています。
高梁市成羽美術館の建物は、安藤忠雄氏のデザイン哲学を体現しています。鉄筋コンクリートで構成されたこの建物は、地上2階・地下1階からなり、敷地面積7,607.89平方メートル、建築面積1,601.98平方メートル、延床面積2,691.98平方メートルという規模を誇ります。また、館周囲には地下水を利用した人工池「流水の庭」が配され、館内には「静水の庭」が設置されています。これらの要素が、美術館の落ち着いた雰囲気を作り出しています。
児島虎次郎(1881年-1929年)は、岡山県川上郡下原村(現・高梁市成羽町下原)出身の洋画家です。東京美術学校(現在の東京芸術大学)で黒田清輝や藤島武二に師事し、洋画の技法を学びました。卒業後はヨーロッパに留学し、ベルギーのゲント美術アカデミーで首席卒業するなど、その才能を開花させました。また、児島は倉敷の実業家・大原孫三郎との親交を深め、大原美術館の設立に大きく貢献しました。
児島虎次郎が収集したエジプトの古代美術品は、彼の美術への情熱と洞察力を物語るものです。これらのコレクションは、1920年代に収集されたもので、エジプトの歴史や文化を現代に伝える貴重な資料として位置付けられています。児島のコレクションは、美術館の展示品として多くの人々に感銘を与え続けています。
高梁市成羽美術館は、芸術と歴史が調和する素晴らしい複合施設です。安藤忠雄氏の設計による建物は、周囲の自然と美しく融合し、訪れる人々に静寂と感動を提供します。児島虎次郎の作品や彼が収集した古代美術品を通じて、訪問者は地域の歴史と芸術の豊かさを体感することができます。岡山県高梁市を訪れる際には、ぜひこの美術館を訪れ、芸術と歴史の旅を楽しんでください。