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西江邸

(にしえてい)

西江邸・西江家住宅は、岡山県高梁市成羽町坂本に現存する江戸中期の代官御用所であり、国の登録有形文化財に指定されています。ここでは、その歴史や施設の概要について詳しくご紹介します。

歴史

西江家は、家譜によると坂東八平氏の一つである三浦義明氏の嫡流に属し、その出自は古く、鎌倉時代には北面の武士を務めていました。応仁の乱を経て、室町時代末期より京都から岡山県成羽町に移り、山城を守る武士として活躍しました。

戦国時代になると、西江家は毛利氏に従い、初代西江大蔵清成は天正年間の戦乱で武功をあげ、天正10年に毛利輝元から二百町歩の土地を授けられました。その後、関ヶ原の戦いで毛利氏が敗北したため、西江家は武士の身分を捨て、農業に転じました。それでも郡中惣代庄屋としての地位を保ち、豪農商として地域の発展に貢献しました。西江家の楼門は、当時の格式と天領地を任された地位を象徴するものです。

西江邸の施設

西江邸は、岡山県道33号線沿いから少し坂を上った場所に位置し、現在でも個人宅として維持されています。現在の当主は18代目であり、西江家は長きにわたり、この地で暮らし続けています。

弁柄製錬の成功

6代目西江兵右衛門が宝暦年間(1751年 - 1761年)に、本山鉱山から採掘された鉄鉱石から日本で初めて弁柄(酸化第二鉄)の製錬に成功しました。これにより、西江家は弁柄産業を基盤として繁栄し、350年以上にわたり、弁柄とその原料である緑礬(ローハ)の生産を続けました。

建築物の特徴

西江家の母屋などは、宝永・正徳年間(1704年 - 1715年)に創建されました。惣代庄屋として、また請負代官を兼ねた西江家は、白洲跡や郷倉、駅馬舎、手習い場、式台など、当時の行政機構を象徴する施設を有していました。

6代目当主が島根県から一流の石州大工と石州瓦職人を呼び寄せ、20年の歳月をかけてこれらの建築物を完成させました。その3段構えの石垣は、まるで城郭のような風格を持っています。裏座敷は15代目当主が明治時代に建て替え、桜や欅、松、檜、黒柿、紅葉などの高級木材を使用しており、弁柄塗りが施されています。

西江家の文化財としての価値

西江家住宅は、江戸期の上層民の暮らしを色濃く残し、地域の自治を担った存在としての歴史的価値が高いとされています。約3000坪の広大な敷地に、41部屋、161畳もの広さを持ち、現在は一部を資料館として公開しています。現代においても、活きた文化財としての役割を果たし続けています。

弁柄産業の再興と文化財保護

18代目当主である西江晃治氏は、岡山大学や九州大学と共同で研究を行い、平成20年に公害を出さない新しい製法で弁柄の再興を果たしました。同時に、弁柄の研究所も設立され、現在では耐候性や木部保護に優れたローハベンガラが、世界遺産や国宝、重文などの文化財保護に活用されています。これらの製品は、注文生産されています。

社会貢献と文化的活動

西江家は、弁柄の生産だけでなく、社会貢献にも積極的に取り組んでいます。2012年には、東北地方太平洋沖地震で消失した茨城県北茨城市の「六角堂」の再建を支援するため、江戸時代の弁柄2.5kgを寄贈しました。また、2014年には最上稲荷の大鳥居に、西江邸で生産されたローハベンガラで塗装された扁額を奉納しています。

日本遺産としての認定

2020年には、西江邸が所在する「弁柄と銅の町 備中吹屋」が文化庁によって日本遺産に認定されました。これは、地域の伝統的な産業とその歴史的価値が評価された結果です。

Information

名称
西江邸
(にしえてい)

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