素南山(そなんざん)巨福寺は、岡山県高梁市寺町にある日蓮宗の寺院で、その旧本山は京都の大本山妙顕寺(四条門流)です。創建当初から多くの信仰を集め、現在でも地域の重要な宗教施設としてその歴史を伝えています。
巨福寺は、文和4年(1355年)に大僧正大覚妙実により創建されました。彼は日蓮聖人の孫弟子であり、日像上人の直弟子として備前、備中、備後を布教活動の拠点としました。当時の松山(現在の備中高梁)で米山難波家の新左衛門夫妻が大覚大僧正の教えに深く感銘を受け、延文3年(1358年)に草庵を設け、法華道場としての始まりを告げました。
元和年間(1617年頃)、備中松山藩主であった池田長幸によって寺は再興され、法華道場としての地位をさらに確立しました。その後、歴代の住職や藩主の支援により寺はますます発展し、三尊石組による枯山水の庭園が造られるなど、文化的価値も高まりました。
江戸時代には、第18世高巌院日康上人によって享保15年(1730年)に本堂が再建され、三十番神が勧請されました。しかし、その後の街中の大火により本堂が焼失し、1778年に第22世心具院日英上人と第23世即妙院日格上人によって再々建立され、現在の堂塔伽藍の基礎が築かれました。
第33世真如院日映上人の代には、備中高松稲荷から最上尊が勧請され、巨福寺の鎮守として祀られました。また、明治29年には第35世智朗院日観上人によって現在の最上尊・三十番神本殿が建立されました。
巨福寺の本堂は延享5年(1748年)に焼失した後、安永7年(1778年)に再建されました。山門は、備中松山藩家老宅の門を明治8年(1875年)に移築したもので、今もその威風を保っています。
江戸時代初期に作庭された枯山水庭園は、三尊石組による枯滝、護岸の石列美、宝来石などが巧みに配置されており、観賞的な価値も非常に高いとされています。この庭園は、地方でも稀に見る優美な隠れ庭園として知られています。
境内には樹齢300年とされる「鳳風の松」があり、その古木は巨福寺の長い歴史を物語っています。この松の存在は、寺院の風格と自然の調和を象徴するものです。
巨福寺は650年以上の歴史を持ち、現在でも法燈は絶えることなく受け継がれています。令和3年現在、第39世住職によって寺の教えと伝統が守られています。境内には多くの文化財や歴史的建造物が残されており、参拝者はその歴史と文化を身近に感じることができます。
巨福寺の本山は、日蓮宗総本山である山梨県の身延山久遠寺です。日蓮聖人が晩年を過ごされた地として、日蓮宗における聖地となっています。
また、京都府にある日蓮宗大本山妙顕寺も巨福寺の旧本山です。妙顕寺は日像上人によって開創され、西日本最初の日蓮宗の法華道場としても有名です。
岡山県内では、妙本寺が日蓮宗宗門史跡として位置づけられており、大覚大僧正妙実上人が開基した中国地方最初の法華道場として知られています。