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高梁市立 吹屋小学校

(たかはししりつ ふきや しょうがっこう)

高梁市立吹屋小学校は、岡山県高梁市成羽町吹屋にかつて存在した市立小学校です。児童数の減少により、2012年(平成24年)3月末に廃校となり、その後は「旧吹屋小学校」として知られています。

歴史的背景

20世紀初頭に建てられた吹屋小学校の擬洋風校舎は、現存する日本最古の小学校校舎として知られていました。2003年(平成15年)には、岡山県指定重要文化財(建造物)に指定されました。廃校後の校舎は、耐震強化を含む解体修理が2015年に開始され、2022年4月21日に観光施設として再び一般公開されました。

開校と校舎の建設

吹屋小学校の起源は江戸時代末期にまで遡ります。吹屋村には3つの寺子屋が開設され、その中で最も古い学び舎は神官の大河政興が1857年(安政4年)に開設したものでした。その後、1873年(明治6年)に児童教育の場として正式に開校しました。

校舎の設計と配置

1899年(明治32年)には吹屋尋常高等小学校として現在の場所に移転し、1909年(明治42年)には本館(木造2階建)が竣工しました。校舎は西校舎と東校舎が本館を中心に左右対称に配置されており、特徴的な設計である『江川式建築』の影響を受けているとされています。

校舎の間取りと特徴

本館の正面には玄関ポーチがあり、内部は中央廊下を挟んで校長室、職員室、教室、そして幅広い屋内運動場が配置されています。屋内運動場には、2階への階段が両端に設置されており、中央には講堂が設置され、左右に教室が並んでいました。東校舎には3つの教室が、西校舎には体育館があり、トイレは西廊下北側に配置されています。

文化財としての保存活動

吹屋小学校は、岡山県指定重要文化財として保存されるため、2015年から5年間にわたり解体修理が行われました。当初の予算は8億8,800万円でしたが、工事中に部材の腐朽が発見されたため、最終的には9億5,000万円の予算で2022年3月に工事が完了しました。

銅山とベンガラ産業の歴史

吹屋地区は、江戸時代に栄えた銅山とベンガラ(酸化鉄)産業によって成長しました。銅山の開坑は807年(大同2年)に始まったとされ、江戸時代には幕府の管理下で開発が進みました。明治時代には三菱による近代化が進められ、最盛期には1263人の従業員が働いていました。

また、ベンガラ生産は1974年(昭和49年)まで続き、吹屋小学校の敷地も三菱商会が寄付したものでした。周辺には、ベンガラで財を成した西江邸や広兼邸などの旧家が数多く残っています。

閉校と地域の協議

吹屋小学校は、児童数の減少により2008年度から閉校に向けた協議が始まりました。2010年12月には地域住民への説明会で閉校が合意され、2012年3月20日に最後の卒業式と閉校式が行われました。廃校日は3月31日でしたが、それまでの間も在校生に対して通常の授業が行われていました。

旧吹屋小学校整備事業

2015年に開始された旧吹屋小学校の解体修理事業は、5年間の計画で進行し、2022年4月に再び一般公開が始まりました。耐震補強や部材の交換が行われ、文化財としての価値を保ちながら観光施設としても活用されています。

著名な出身者とメディアでの紹介

吹屋小学校の著名な出身者には、オペラ歌手のアンネット・一恵・ストゥルナート氏がいます。また、1990年に放送されたドラマ『裸の大将』ではロケ地として使用され、NHKの連続テレビ小説『カーネーション』や『ごちそうさん』の撮影にも利用されました。

メディアでの紹介

さらに、2009年にはMBS毎日放送の『ロケみつ』で吹屋小学校が紹介され、2012年にはANN『テレメンタリー2012』で最後の1年間の密着取材が放映されました。これにより、全国的にもその歴史と価値が広く知られるようになりました。

アクセスと周辺施設

高梁市立吹屋小学校へのアクセスは、西日本旅客鉄道(JR西日本)伯備線の備中高梁駅から備北バス「吹屋」行きで約58分です。周辺には「ラ・フォーレ吹屋」や旧片山家住宅、西江邸などの観光名所も点在しています。

周辺の観光スポット

吹屋小学校の近くには、旧片山家住宅や吹屋ふるさと村郷土館、西江邸、広兼邸などの歴史的建造物があります。これらの施設も、吹屋地区の歴史や文化を学ぶ上で重要な観光スポットとなっています。

Information

名称
高梁市立 吹屋小学校
(たかはししりつ ふきや しょうがっこう)

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