薬師院は、岡山県高梁市上谷町に位置する歴史ある寺院で、正式名称は「瑠璃山 泰立寺 薬師院」といいます。この寺院は寛和年間(985~987年)に花山法皇の開基によって創建されたと伝えられており、真言宗に属しています。本尊は薬師瑠璃光王如来であり、50年に一度、秘仏御開帳法要が行われる特別な場所です。また、昭和58年には映画「男はつらいよ」のロケ地としても使用され、多くの人々に知られるようになりました。
薬師院の本堂である薬師堂は、元和10年(1615年)に建築されました。薬師院の本堂は、間口・奥行きともに3間の単層入母屋造りで、向拝を備えた荘厳な建物です。
本堂の棟札には元和10年(1624年)と記されており、江戸時代初期に建てられてますが、急勾配の大屋根とそれを支える組物、正面入口の桟唐戸の菱格子の透かし、下部の残欠した入子板の花鳥の丸彫、軒廻りに木鼻に鳥のくちばしのような茨(カスプ)を持つ斗栱が用いられた彫刻など、豪華で力強い桃山時代の建築様式が随所に見られます。これらの特徴は、建築技術の高さと芸術的な価値を感じさせるものです。
薬師院の山門右側にある大仙堂には、鎌倉時代の作風を感じさせる石造の延命地蔵菩薩が祀られており、この地蔵菩薩は高梁市の指定重要文化財に指定されています。また、薬師院の裏山には西国三十三観音霊場があり、多くの参拝者が訪れる場所として知られています。これにより、薬師院は信仰の場としても広く親しまれています。
薬師院の境内には、高梁の殖産興業に貢献した中村源蔵の碑が建てられています。中村源蔵は、麦かん真田の普及に尽力した人物であり、地域に大きな影響を与えました。この碑は、彼の功績を後世に伝えるものとして、多くの人々に知られています。
寺伝によれば、薬師院は花山法皇の開基により寛和2年(968年)に現在の備中高梁駅周辺にある原村に創建されました。しかし、歴史の中で二度の火災に見舞われ、一時は衰退しました。その後、慶長5年(1600年)に備中代官として入国した小堀正次が城下町の整備を進める中で、薬師院も現在の場所に移転されることとなりました。石垣の築造には20年以上の歳月がかかり、元和10年(1624年)に51代院家宥遍の代に完成しました。この時に造営された庭園は、江戸時代初期の密教的庭園として非常に貴重なものであり、現在もその姿を残しています。
薬師院の本堂は、岡山県の指定重要文化財に指定されています。この建物は、桃山時代の建築様式を色濃く残しており、その歴史的・文化的価値は非常に高いものです。
薬師院の入口に立つ仁王門も、高梁市の指定重要文化財に指定されています。この門は、寺院の歴史と風格を象徴するものであり、訪れる人々を厳かに迎え入れる役割を果たしています。
大仙堂に安置されている延命地蔵菩薩は、高梁市の指定重要文化財として保護されています。この地蔵菩薩は、鎌倉時代の特徴を持ち、その芸術的価値は非常に高いものです。
薬師院は、岡山県高梁市にある歴史と文化が息づく寺院です。花山法皇の開基に始まり、長い歴史の中で幾度も困難を乗り越えながら現在に至っています。その建築や文化財は、桃山時代や江戸時代の技術と美術を今に伝える貴重なものであり、多くの参拝者や観光客に愛されています。また、映画「男はつらいよ」のロケ地としても知られ、広く親しまれています。薬師院を訪れることで、歴史の深みと文化の豊かさを感じることができるでしょう。