頼久寺は、岡山県高梁市に位置する臨済宗永源寺派の寺院で、その歴史は深く、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つとして知られています。山号は天柱山で、本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)です。また、備中西国第五番札所および瀬戸内観音霊場第十三番札所として多くの参拝者を集めています。特に、国指定名勝に指定された庭園は、備中国奉行であった小堀遠州の初期の作庭として有名です。
頼久寺の創建時期は不詳ですが、1339年(暦応2年)に足利尊氏が備中国安国寺として再興し、寂室元光禅師(正燈国師)を開山第一祖として迎えました。寂室禅師は正応3年(1290年)に美作で生まれ、13歳で出家し、31歳で元に渡り中峰明本禅師から「寂室」の道号を授けられた臨済宗の僧侶です。嘉暦元年(1326年)に帰国し、備中備後路を巡錫していました。
永正年間(1504年 - 1521年)には、備中松山城城主の上野頼久が大檀越となり、寺院の整備が進められました。1521年(大永元年)に頼久が逝去した後、その名を取って寺号が安国頼久寺に改められました。頼久の墓は現在もこの寺にあります。また、頼久寺には、三村氏三代(家親、元親、勝法師丸)の供養碑があり、彼らの波乱に満ちた生涯が偲ばれます。
頼久寺の庭園は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、徳川家康により備中国の代官として封じられた小堀正次の子、小堀遠州によって作庭されたとされています。この庭園は、禅院式枯山水蓬莱庭園で、書院から南を望むと、左手には懸崖造りのサツキの大刈込が見られ、中央奥には低い築山状の鶴島と亀島が配置されています。庭園の設計には遠州独特の様式が取り入れられており、庭の背景には愛宕山を借景として利用しています。
この庭園は、1974年(昭和49年)に国の名勝に指定され、その後も良好な管理によって江戸時代初期の優れた意匠を保っています。また、2009年(平成21年)には本堂や書院などが追加指定されました。庭園内にある高さ148cmの石灯籠は、市指定文化財となっており、その歴史的価値が評価されています。
頼久寺の庭園は、小堀遠州による枯山水庭園として知られ、その美しい意匠と歴史的背景から国指定の名勝となっています。この庭園は、鶴と亀を模した石組みやモミジ、サツキの大刈込などがあり、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。
頼久寺には、絹本著色釈迦三尊像が所蔵されており、これは重要文化財に指定されています。この作品は、仏教美術の一端を感じさせる貴重な文化財です。
寂室元光禅師の頂相(肖像画)もまた、岡山県指定の重要文化財として大切に保存されています。この頂相は、禅宗の歴史を伝える重要な資料とされています。
頼久寺にある石灯籠は、高梁市の指定文化財であり、庭園の一部としてその美しい景観を形成しています。この灯籠は、寄せ灯籠であり、異なる時代の部品が集められており、その中には南北朝時代の火袋や竿、江戸時代中期以降の基礎や傘が含まれています。
頼久寺は、その歴史と文化財、そして美しい庭園が一体となり、訪れる人々に深い感銘を与える場所です。足利尊氏によって建立され、長い歴史の中で多くの人々によって守り伝えられてきたこの寺院は、禅宗の精神を体現する場として、また、日本庭園の美を堪能できる名刹として、今も多くの人々に愛されています。