岡山県の北部に位置する津山・美作(みまさか)エリアは、県内でも山の幸や景勝地が堪能できるエリアとして有名です。津山では津山城の桜や大正浪漫を感じさせる洋館、またB級グルメも名物として人気を呼んでいます。
津山は岡山県の北東に位置する山間の都市で、古くは津山藩の城下町として栄えた町です。織田信長の小姓・森蘭丸の弟・忠政が津山藩の初代藩主となり12年の歳月をかけて津山城を建設。現在では天守閣の南東側に位置する備中櫓が復元され、風情ある景観が人気です。
津山城のふもとにある鶴山公園の桜は、日本さくら名所100選にも選ばれているほどの絶景スポット。城から桜のある鶴山公園を見下ろすと、まるでピンク色の絨毯を敷きつめたように一面が桜色に染まった見事な景色を見ることができます。
また、同地域は昔から牛や馬の流通の拠点として発展してきたため、新鮮な肉が食べられることでも知られています。そんな背景から誕生したのが新名物・津山ホルモンうどん。有名なB級グルメコンテストでシルバーグランプリを獲得したこのうどんは、新鮮な牛ホルモンと各店独自のタレ・うどんが絶妙に絡み合いヤミツキになるおいしさと評判です。
四季折々の美しい山の景色や、雄大な自然が生み出す山の幸、歴史を感じさせる城や昔ながらの街並みなど津山・美作ならではの見どころは尽きません。岡山の魅力が詰まった観光スポットです。
備中松山城は、岡山県高梁市内山下に位置する日本の城で、山城の代表格として知られています。正式には「松山城」と称されますが、他地域の同名の城と混同を避けるため、一般的には「備中松山城」と呼ばれます。現存する12の天守を持つ城の一つで、これらの中で唯一の山城であり、標高430メートルの小松山山頂にその姿を残しています。 城の成り立ちと重要性 臥牛山の四峰に築かれた要塞 備中松山城は、臥牛山(がぎゅうざん)と呼ばれる四つの峰からなる山の一部に築かれています。標高487メートルの山頂から南稜線にかけて多くの遺構が残されており、その中でも小松山にある現存天守は標高430メートルの高さに位置していま...»
岡山県の北東部に位置する津山市周辺は、古くから和牛の産地。牛の内臓肉を使ったホルモンうどんは、焼肉店やお好み焼き店を中心に昭和後期から食べられてきた人気メニューだ。平成17年、町おこしの一環として「津山ホルモンうどん研究会」を旗揚げ。B-1グランプリなどに出展し、平成21年の横手大会で3位、翌年の厚木大会で4位を受賞した。味付けはしょうゆ、味噌、ソース味など店よって異なるが、自家製のタレを作り、バラエティに富んだ味が楽しめる。津山では約50の店で食べられる。...»
岡山県津山市で古くから親しまれているそずり鍋。そずり肉と呼ばれる牛の骨からそずり(削り)おとした肉を使用し、牛肉は地産の「作州牛」というブランド牛が使われる。醤油ベースの甘辛な割り下に新鮮なそずり肉をいれ、ごぼうなどの野菜や豆腐と煮込む。色の濃い見ためからは驚くほどあっさりとした味わい。とろとろに煮込まれたそずり肉が舌の上でハラリとほどけ、後引く旨さ。そずることでより旨みがしみわたり、高級なブランド牛も余すことなく使用できる、先人の知恵が光る逸品だ。うどんかそばでシメるのが津山スタイル。...»
猪が多く棲息する新見市では、昔からぼたん鍋などの猪料理が多く食べられていた。そんな中で、この猪を新見の名物にしようと考えられたのが、「いのししラーメン」である。いのししラーメンは、農作物への深刻な被害が続いており、捕獲頭数も年々増加しているイノシシに着目し、新見商工会議所青年部が町おこし活性化事業として取り組み、開発したもの。新見の山野で育った野生の猪肉を手間ヒマかけて煮込み焼きあげ、チャーシューで味わう個性派ラーメン。...»
古来より肉処である作州津山に伝わる郷土の味。厳選された牛肉を使い、添加物をいっさい使っていない。丹念に塩を揉みこみ、熟成を待ち、太陽と風を通して作られる。一品一品手作りで、太陽と風の贈り物。独特の香ばしさと歯ごたえが魅力である赤身の上モモ肉や、「さし」の入った旨みがしっかりとした特上のモモ肉、独特のコクと深みのある最上の旨みが口に広がる国産高級黒毛和牛などがある。調理済みで、開封してすぐ食べられるものもあり、手軽に干し肉を楽しめると地元岡山で大ヒットしている。...»
どこの家庭でもお馴染みの“たまごかけごはん”で、町おこしを!と、美咲町では“たまごかけごはん”専門の店「食堂かめっち」をオープン!その日の朝にうまれたばかりの新鮮な卵、愛情込めて育てた“棚田米”、しょうゆをベースにした「しそ、のり、ねぎ」の3種のタレと、すべて地元産の食材にこだわって提供。器に地元の名産品の桜湖焼を使っているのも見逃せない。シンプルなだけに素材の良さが光り、コクと旨みのある卵と風味が豊かなタレ、ホクホクのご飯が相まった絶妙の味わいが楽しめる。...»
岡山の黒まめは県中北部で主に栽培されていて、大粒で味が良く、バランスのとれた栄養素が含まれている。煮豆にすると、見栄えや風味の良さ、なめらかな舌触りで最高の食材とされ、お正月のおせち料理にはかかせない逸品である。県は、水田転作作物として県北東部の英田郡に「丹波黒」という品種名の黒大豆を導入。栽培方法や品質、流通面などの課題を改善し、栽培は隣接する地域へと普及した。以来、県内各地域で作られるようになり、平成8年には県北東部の勝英地域で生産される黒大豆を『作州黒』としてブランド化するまでになった。...»
日本一のピオーネの産地岡山県。「巨峰」と「カノンホールマスカット」を交配して生み出された和製の葡萄で、芳香のある濃い紫色をした大粒の果粒は、歯触りが良く、甘い果汁がたっぷり。適度に酸味もある。その豊潤な味わいで、葡萄の人気品種の一つとなっている。旬は8月~10月。「ピオーネ」とはイタリア語で開拓者という意味。現在では、種なしピオーネを「ニューピオーネ」として販売している。粒は20gを超すものもある大粒で、糖度は16度以上と甘く、香りも抜群に良い。 旬 7月 8月 9月 10月 ...»
岡山県津山で開発された“津山ロール”は、農家とお菓子屋が一体となり、豊かな自然と肥大な土地をいかした新しいご当地スイーツだ。津山産の小麦粉“ふくほのか”を100%使用した生地は、口当たりが良いしっとりとした食感で、中に入っているフルーツや野菜もすべてが津山の特産物。「作州黒豆&蒜山ジャージー牛乳」「桜&葉の塩漬け&あん」など、店ごとに工夫が施されており、食べ比べも楽しめる。賞味期限1週間と日持ちするのでおみやげとしても最適。地元の和洋菓子店8店で購入することができる。...»
明治時代に米酢屋として創業した河野酢味噌製造工場は、真庭唯一の食酢蔵。この優しい紅色をした紅酢は、創業より途切れることなく湧き上がる天然地下水と米は酒米と古来より使われている紅麹を使用。発酵期間6ヶ月、熟成9ヶ月の昔ながらの静置発酵法で、手間を惜しまない製品作りを続けている。酢に含まれる18種類のアミノ酸の中にはGABAが含まれている。また、アントシアニンも含まれており、体にも優しい。口に含むとまろやかで、ムレ香が少なく、調理用としてももちろんだが、黒砂糖やジュースで薄めれば日常のドリンクとしても楽しめる。...»
岡山県のお茶栽培は栽培面積約150haと全国的には非常に小さな産地。しかし肥沃な土壌と、朝の冷え込み、昼の麗らかな陽光、谷あいを流れる清流の朝霧が茶園に流れ、良質茶の産地に適した環境を生み出している。中でも美作町海田地区にある海田園黒坂製茶では、茶葉の成長に重要な土を作ることにこだわり、自ら畑でのお茶の栽培・摘み取り、工場での製茶作業をすすめている。お茶の種類は岡山茶、上煎茶、旨味緑茶、玄米茶、ほうじ茶など多種に及ぶ。口に運ぶとその香ばしい香り、自然の甘み、深みのある滋味を実感できるはずだ。...»
美しい田園風景と恵まれた自然に囲まれた鏡野町。この地で、「子供の頃に昔おばあちゃんが作ってくれた懐かしのカレー」をヒントに誕生した“かがみの田舎カレー”が、今、ご当地B級グルメとして人気を博している。大きめにカットされた鶏肉、里芋、ゴボウ、こんにゃくなどの具材は、ゴロゴロとした食感が楽しめ、食べ応え満点。隠し味の地元産の味噌で、まろやかな味に仕上がっており、素朴で深みのある味は、初めて食べてもなぜか懐かしさが感じられる。レトルトパックもあり、こちらはお土産におすすめだ。...»
延命寺は、岡山県高梁市に位置する曹洞宗の寺院で、その歴史は長く、地域の人々から篤く信仰されています。この寺院は、重要伝統的建造物群保存地区「吹屋」の麓にある「下谷」地区にあり、静かな自然の中で禅の修行と信仰が行われてきました。 若杉山延命寺の創建と本尊 延命寺の創建は永正2年(1505年)に遡り、その山号は「若杉山」と称されます。本尊として祀られているのは十一面観世音菩薩で、この観音像は、吉岡銅山や弁柄製造で財を成した吹屋の豪商たちから厚い信仰を集めました。地域の繁栄と密接に関わりながら、延命寺は長年にわたり地元住民の心の拠り所となってきました。 尼子氏との深いゆかり 延命寺は、戦国時...»
吉岡銅山 笹畝坑道は、岡山県高梁市に位置する歴史的な銅山の遺構であり、現在は観光用に整備されています。この坑道は、かつて江戸時代から大正時代まで操業していた吉岡鉱山(吹屋鉱山)の一部であり、日本の産業史においても重要な役割を果たしてきました。 吉岡銅山の歴史と発見 吉岡銅山の歴史は非常に古く、807年(大同2年)にその存在が発見されたと伝えられています。この鉱山は、江戸時代には日本六大銅山の一つに数えられ、特にベンガラの産地としても繁栄しました。江戸時代初期には一時的に成羽藩の支配下にありましたが、その後は天領(幕府直轄地)となり、代官の支配のもとで銅の採掘が続けられました。 吉岡銅山は...»
ベンガラ館は、岡山県高梁市に位置し、赤色顔料「ベンガラ」をテーマとする博物館です。この館は、日本で唯一のベンガラ産地として知られ、長い歴史を誇る吹屋地区にあったベンガラ工場跡を活用して開設されました。ベンガラ産業の歴史や製造工程を知ることができる貴重な場所です。 ベンガラ館の概要と歴史 ベンガラ館は、明治時代のベンガラ工場の建物と製造用器具を忠実に復元し、ベンガラの製造工程を詳しく紹介しています。実際に使用された古い製造用器具が展示されており、訪れる人々に当時の製造現場の雰囲気を伝えています。また、隣接する陶芸館では、ベンガラで絵付けされた九谷焼、伊万里焼、京焼などの陶磁器が展示されており...»
広兼邸は、岡山県高梁市に位置する歴史的建造物で、吹屋ふるさと村の保存建造物の一つです。吹屋中心部から南方約3キロメートルに位置し、江戸時代後期に建てられた広兼家の豪奢な邸宅として知られています。この邸宅は、歴史的な価値とその美しい佇まいから、多くの訪問者を魅了しています。 広兼邸の概要と歴史 広兼邸は、江戸時代後期に小泉銅山とローハ(緑礬・硫酸鉄=ベンガラの原料)の製造を営んでいた大野呂の庄屋・広兼家の2代目である元治によって建てられました。この邸宅は、当時の富豪としての広兼家の繁栄を象徴するもので、その壮大な建築は見る者を圧倒します。1977年には松竹映画『八つ墓村』のロケ地としても使用...»
西江邸・西江家住宅は、岡山県高梁市成羽町坂本に現存する江戸中期の代官御用所であり、国の登録有形文化財に指定されています。ここでは、その歴史や施設の概要について詳しくご紹介します。 歴史 西江家は、家譜によると坂東八平氏の一つである三浦義明氏の嫡流に属し、その出自は古く、鎌倉時代には北面の武士を務めていました。応仁の乱を経て、室町時代末期より京都から岡山県成羽町に移り、山城を守る武士として活躍しました。 戦国時代になると、西江家は毛利氏に従い、初代西江大蔵清成は天正年間の戦乱で武功をあげ、天正10年に毛利輝元から二百町歩の土地を授けられました。その後、関ヶ原の戦いで毛利氏が敗北したため、西...»
高梁市立吹屋小学校は、岡山県高梁市成羽町吹屋にかつて存在した市立小学校です。児童数の減少により、2012年(平成24年)3月末に廃校となり、その後は「旧吹屋小学校」として知られています。 歴史的背景 20世紀初頭に建てられた吹屋小学校の擬洋風校舎は、現存する日本最古の小学校校舎として知られていました。2003年(平成15年)には、岡山県指定重要文化財(建造物)に指定されました。廃校後の校舎は、耐震強化を含む解体修理が2015年に開始され、2022年4月21日に観光施設として再び一般公開されました。 開校と校舎の建設 吹屋小学校の起源は江戸時代末期にまで遡ります。吹屋村には3つの寺子屋が...»
吹屋ふるさと村郷土館は、岡山県高梁市成羽町にある歴史ある郷土館です。この郷土館は、吹屋地区の伝統的な家屋を今に伝え、地域の文化と歴史を学ぶ貴重な場所となっています。 郷土館の概要 吹屋ふるさと村郷土館は、1879年(明治12年)に建築された入母造りの二階建て町家です。この家屋の主屋は、土台と外側にクリ材、縁や敷居にサクラ材が使用されており、その他の部分には松の巨材が使われています。1979年(昭和54年)、当時の当主から旧成羽町がこの建物を借り受け、現在は一般公開されています。 建築の沿革 吹屋ふるさと村郷土館は、岡山県高梁市成羽町で弁柄業を営んでいた片山家の分家として建てられたもので...»
旧片山家住宅は、岡山県高梁市成羽町吹屋にある歴史的な邸宅で、かつてはベンガラ製造で栄えた片山家の本家邸宅です。この家屋は、江戸時代から続くベンガラ業を支え、地域経済に大きな影響を与えました。現在では、主屋や宝蔵、米蔵、弁柄蔵など5棟が国の重要文化財に指定されており、一般公開されています。 旧片山家住宅の概要 旧片山家住宅は、岡山県高梁市成羽町吹屋に位置し、片山家本家である「本片山」として知られています。この邸宅は、片山家が1795年(宝暦9年)に本格的に弁柄製造を開始して以来、約200年にわたりベンガラ業を行ってきました。郷土館の向かいに位置し、主屋や宝蔵、弁柄蔵などがあり、これらが国の重...»
松山踊りは、岡山県高梁市で毎年8月14日から8月16日の3日間にわたって開催される伝統的な盆踊りです。正式には「備中たかはし松山踊り」として知られ、岡山県内で最大規模の盆踊りとして多くの人々に親しまれています。また、真庭市蒜山地方の大宮踊、笠岡市白石島の白石踊と並び、岡山三大踊りの一つとされています。 松山踊りの概要 松山踊りは、江戸時代から伝わる伝統的な盆踊りであり、備中松山藩の城下町である高梁市で代々受け継がれてきました。踊りは、地踊り、仕組踊り、そして近代以降に周辺地域から伝わったヤトサの3種類で構成されています。これらの踊りは、宗教的な色彩が薄く、むしろ娯楽としての要素が強いため、...»
高梁市郷土資料館は、岡山県高梁市向町に位置する市立の郷土資料館です。この資料館は、1978年に開館し、歴史的な建物である旧高梁尋常高等小学校本館を活用しています。この建物は、1904年に竣工し、「旧高梁尋常高等小学校本館」として高梁市の有形文化財に指定されています。 歴史的建造物としての旧高梁小学校本館 建設の背景と特徴 旧高梁小学校の本館は、1904年(明治37年)に建てられた洋風木造建築です。この建物は、日露戦争の最中に完成し、明治時代の建築様式を今に伝えています。特に2階に設けられた講堂の天井は、樅材を使った無節正目の格天井で、桃山風の二重折上格天井として見事な出来栄えを誇ります。...»
高梁市成羽美術館は、岡山県高梁市に位置し、美術館と考古学系博物館が一体となった複合施設です。この美術館は、岡山県初の町立美術館として1953年に開館し、1994年に現在の場所に移転して新築開館しました。郷土の洋画家、児島虎次郎の遺徳を顕彰し、地域文化の拠点として機能しています。 コンクリートと自然が調和した建築 安藤忠雄の設計による美術館建築 現在の高梁市成羽美術館は、世界的に有名な建築家・安藤忠雄氏の設計によるもので、地下一階、地上二階のコンクリート打ち放しの建物です。成羽陣屋跡の石垣上に建てられたこの美術館は、周囲の自然と調和し、美しい景観を提供しています。建物内は光と影のコントラス...»
弥高山は、岡山県高梁市川上町高山に位置する標高653.6mの山です。吉備高原の西部に位置し、北は伯耆(ほうき)大山、南は瀬戸内海までを望むことができる絶景スポットです。この山の魅力は、四季折々の美しい自然にあります。特に春には10万本ものツツジが咲き誇り、訪れる人々を魅了します。また、梅雨時期のアジサイや秋の紅葉、冬の雪景色など、季節ごとに異なる表情を見せる自然美が楽しめます。 弥高山公園:自然とアウトドアの楽園 豊かな自然に囲まれたレジャースポット 弥高山には「弥高山公園」が広がっており、約17ヘクタールの広大な敷地にはキャンプ場、ロッジ、貸別荘などのアウトドア施設が整備されています。...»
漫画文化を体感できる特別な場所 吉備川上ふれあい漫画美術館は、岡山県高梁市にある、漫画を専門とする美術館です。この美術館は、国内外の漫画約12万冊を所蔵しており、全国でも珍しい漫画専門の美術館として知られています。館内には、昭和30年代後半の懐かしい漫画から最新のコミックスまで、約6万冊が展示され、自由に閲覧することができます。 富永一朗氏の貴重な原画コレクション 名誉館長である漫画家・富永一朗氏の原画ギャラリーも常設されており、その作品集や愛蔵品が展示されています。また、市主催の漫画コンテスト「吉備川上漫画グランプリ」の作品展示も行われ、大人から子どもまで年齢を問わず楽しむことができる...»
高梁川水系最大規模の滝 鈴木の滝は、岡山県高梁市備中町西山に位置する美しい滝であり、成羽川の支流である橋ヶ川にかかる滝です。この滝は、その規模と水量において高梁川水系で最大のものであり、訪れる人々に圧倒的な自然の力を感じさせます。滝は二段に分かれており、特に奥の滝壷からの眺めは非常に迫力があり、自然の壮観を堪能できるスポットです。 滝の概要とその歴史的背景 成羽川の支流に位置する壮大な滝 鈴木の滝は、成羽川の上流にある支流、橋ヶ川に位置しており、落差は全体で約50メートルに達し、4段に分かれています。この滝は、古くからその高さと水量の豊かさで知られ、特に山伏や修験者たちにとって修行の場...»
駅の概要と名称の由来 方谷駅は、岡山県高梁市中井町西方に位置するJR西日本伯備線の駅で、駅番号はJR-V15です。この駅の名前は、幕末の備中松山藩士であり、漢学者としても著名な山田方谷に由来しています。駅舎は開設時からのもので、国の登録有形文化財としてその価値が認められています。 駅名が決定する過程では、当初「中井駅」として計画されていましたが、地元の偉人である山田方谷の名を駅名に冠したいという住民の要望が強く、最終的に「方谷駅」と名付けられました。これには、「方谷」を地名と見なすことで鉄道省との交渉を成功させた背景があります。 方谷駅の歴史 鉄道の開設とその歩み 方谷駅は1928年...»
寺院の概要と歴史的背景 祇園寺は、岡山県高梁市にある真言宗善通寺派の寺院で、補陀落山(ふだらくさん)を山号とし、感神院(かんじんいん)を院号としています。本尊は千手観音菩薩で、812年(弘仁3年)に弘法大師によって創建されたと伝えられる歴史ある寺院です。江戸時代には松山城主・水谷氏の庇護を受け、京都仁和寺の中本寺として繁栄しました。現在も標高500メートルの山上にあり、平安時代の山岳仏教の姿を色濃く残しています。 祇園の天狗大杉 祇園寺の境内には、弘法大師が手植えしたとされる推定樹齢約1200年の「祇園の天狗大杉」がそびえています。この巨木は高さ32メートル、根回り12メートルを誇り、そ...»
松連寺は、岡山県高梁市に位置する真言宗御室派の寺院であり、東向山(とうこうざん)を山号としています。本尊は大日如来で、寺の歴史は古く、弘仁3年(812年)に開山されたと伝えられています。この寺は、備中松山城主であった三村元親が備中兵乱に敗れ、自害した場所としても知られています。現在の寺は、明暦3年(1657年)に水谷勝隆によって、備中松山城の砦として創建されました。 寺院の再建と移築 松連寺は元々、市内の奥万田に位置していましたが、明暦3年(1657年)、備中松山藩主の水谷勝隆により、現在の場所に移築されました。この移築は、武家諸法度によって城の新築が禁止されていた時代に、城郭としての役割...»
薬師院は、岡山県高梁市上谷町に位置する歴史ある寺院で、正式名称は「瑠璃山 泰立寺 薬師院」といいます。この寺院は寛和年間(985~987年)に花山法皇の開基によって創建されたと伝えられており、真言宗に属しています。本尊は薬師瑠璃光王如来であり、50年に一度、秘仏御開帳法要が行われる特別な場所です。また、昭和58年には映画「男はつらいよ」のロケ地としても使用され、多くの人々に知られるようになりました。 建築と文化財 本堂とその特徴 薬師院の本堂である薬師堂は、元和10年(1615年)に建築されました。薬師院の本堂は、間口・奥行きともに3間の単層入母屋造りで、向拝を備えた荘厳な建物です。 ...»
素南山(そなんざん)巨福寺は、岡山県高梁市寺町にある日蓮宗の寺院で、その旧本山は京都の大本山妙顕寺(四条門流)です。創建当初から多くの信仰を集め、現在でも地域の重要な宗教施設としてその歴史を伝えています。 巨福寺の歴史 創建の背景 巨福寺は、文和4年(1355年)に大僧正大覚妙実により創建されました。彼は日蓮聖人の孫弟子であり、日像上人の直弟子として備前、備中、備後を布教活動の拠点としました。当時の松山(現在の備中高梁)で米山難波家の新左衛門夫妻が大覚大僧正の教えに深く感銘を受け、延文3年(1358年)に草庵を設け、法華道場としての始まりを告げました。 再興と発展 元和年間(1617...»
順正寮跡は、岡山県高梁市頼久寺町に位置する吉備国際大学高梁キャンパス内にある擬洋風建築物です。1895年に竣工し、当初は校舎や女子寮として使用され、1959年には岡山県指定史跡に指定されました。その後、2016年からは学校法人順正学園によって順正記念館という歴史資料館として運営されています。 順正女学校の設立 順正女学校は、岡山県で最初の女学校として、熱心なキリスト教徒であった福西志計子(しげこ)が1881年(明治14年)に設立した裁縫所から発展しました。この学校は、共鳴者であった木村静子の協力を得て、向町の自宅に開設され、その後「順正女学校」として正式に発展しました。1885年には文学科...»
臥牛山は、岡山県高梁市にある山岳で、大松山(おおまつやま)、小松山(こまつやま)、天神丸山(てんじんのまるやま)、前山(まえやま)の4山を総称して呼ばれています。この山岳は岡山県百名山のひとつであり、高梁川上流県立自然公園の一部を成し、備中松山城が所在する場所としても知られています。古くから「松山(まつやま)」とも称され、別名「城山(しろやま)」や「御城山(おしろやま)」としても親しまれてきました。 臥牛山の標高と地理的特徴 標高と山岳構成 臥牛山の最も高い部分は天神丸山で、標高約487メートルを誇ります。北から南へと連なる山岳地帯には、大松山(約470メートル)、小松山(約420メート...»
頼久寺は、岡山県高梁市に位置する臨済宗永源寺派の寺院で、その歴史は深く、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つとして知られています。山号は天柱山で、本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)です。また、備中西国第五番札所および瀬戸内観音霊場第十三番札所として多くの参拝者を集めています。特に、国指定名勝に指定された庭園は、備中国奉行であった小堀遠州の初期の作庭として有名です。 頼久寺の歴史 頼久寺の創建時期は不詳ですが、1339年(暦応2年)に足利尊氏が備中国安国寺として再興し、寂室元光禅師(正燈国師)を開山第一祖として迎えました。寂室禅師は正応3年(1290年)に美作で生まれ、13...»
石火矢町ふるさと村は、岡山県高梁市にある歴史的な風情を色濃く残す地域で、岡山県指定のふるさと村の一つです。約250メートルにわたる坂道沿いには、旧武家屋敷や土塀が連なり、江戸時代の城下町の景観を今に伝えています。備中松山城の城下町として発展し、その格式ある町並みは訪れる人々に武士たちの歴史を感じさせます。 歴史的背景と町並みの保存 格式高い武家町の歴史 石火矢町は、備中松山城が建つ臥牛山の南麓に広がる城下町で、武家の町としての歴史があります。江戸時代初期、備中松山藩初代藩主池田長幸の時代に城下町が拡張され、家臣たちの屋敷地として整備されたのが石火矢町の始まりです。江戸時代には「上ノ中丁」...»