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備中国分寺

(びっちゅう こくぶんじ)

備中国分寺は、岡山県総社市に位置する真言宗御室派の寺院です。山号は日照山と称され、本尊は薬師如来です。この寺院は、奈良時代に聖武天皇の詔によって全国に建立された国分寺のうち、備中国国分寺の後継寺院として知られています。本項では、現存する寺院とともに、創建当時の史跡である備中国分寺跡や備中国分尼寺跡についても詳述します。

田園風景に佇む五重塔

備中国分寺の境内にそびえる五重塔は、田園風景の中に建つ吉備路のシンボル的な存在として、多くの人々に親しまれています。この五重塔は、岡山県内で唯一のものであり、その美しい姿は観光地としても広く知られています。五重塔の背景には、四季折々の美しい風景が広がり、特に春には菜の花、夏にはひまわり、秋にはレンゲが塔を取り囲むように咲き誇り、訪れる人々を楽しませています。

国分寺の創建と再建の歴史

備中国分寺は、聖武天皇の発願により、奈良時代に創建されました。当時、仏教の力を借りて天災や飢饉から国を守ることが目的とされ、全国各地に国分寺が建立されました。しかし、備中国分寺は南北朝時代に一度焼失し、その後、江戸時代中期に再建されるまで長い年月を経ています。現在の建物は、江戸時代中期以降に再建されたものであり、当時の建築様式を色濃く残しています。

五重塔の特徴とその再建

備中国分寺の五重塔は、34.315メートルの高さを誇る壮麗な建築物です。この塔は、1821年(文政4年)に再建が開始され、弘化年間(1844年-1847年)に完成しました。元々三重塔として計画されていましたが、再建の過程で五重塔に変更されました。塔の構造は、初層から三層まではケヤキ材が、四層と五層にはマツ材が主に使用されており、江戸時代後期の建築様式が強く反映されています。この五重塔は、国の重要文化財に指定され、その文化的価値が高く評価されています。

五重塔内部の構造

五重塔の初重内部には、須弥檀が設けられ、心柱の周囲には釈迦、阿弥陀、宝生、阿閤の四如来像が配されています。また、天井部分には、備前長船の住人横山春篤によって描かれた天女や花鳥の彩色画が施されています。これらの彩色画は杉板に描かれており、初重の天井板には55cm角の欅の一枚板が使用されています。天井に描かれた草花文や天女図は全部で104枚あり、堂内の荘厳な雰囲気を一層引き立てています。

備中国分寺跡

創建当初の姿と位置

備中国分寺跡は、岡山県総社市にある歴史的な遺構であり、奈良時代に聖武天皇の詔によって建立された国分寺の一つです。創建当初の国分寺は、現在の国分寺境内と重なっており、寺域は東西160メートル、南北180メートルに及びます。出土した土器などから、この寺院が中世初期まで存続していたことが推定されています。当時の国府は賀陽郡に位置していましたが、国分寺自体は窪屋郡に位置していました。

備中国分寺跡の重要性

備中国分寺跡は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教の力を借りて天災や飢饉から国を守ること(鎮護国家)を目的に建てた官寺の一つです。寺域は東西160メートル、南北178メートルと推定され、江戸時代に再興された現在の備中国分寺が存在するため、南門や中門以外の建物の位置は明確ではありません。しかし、創建当時の礎石が多く残されており、当時の寺院の様子を偲ぶことができます。1968年(昭和43年)には、国指定史跡に指定され、その歴史的価値が広く認められています。

国分寺の再建とその背景

備中国分寺は、聖武天皇の命令により備中国分尼寺とともに建立され、こうもり塚古墳の西約300メートルに位置していました。現在の寺院である日照山国分寺は、江戸時代中期の1722年(享保7年)に、元々の国分寺跡地に再建されたものです。この再建により、備中国分寺は再び宗教的中心地としての役割を取り戻しました。その後、国の重要文化財である五重塔が、再建から約120年後の1843年から1844年にかけて建立され、現在もその壮麗な姿を保っています。

1971年の発掘調査とその成果

1971年、岡山県による発掘調査が行われ、備中国分寺跡の寺域が明らかになりました。寺域は東西約160メートル、南北約178メートルの規模で、周囲は底面の幅約1メートルの築地によって区画されていました。調査により、南門や中門が発見され、出土品としては軒丸瓦や軒平瓦、鬼の顔を表した鬼瓦、魚の形に似た棟飾りである鴟尾(しび)などが確認されました。これらの出土品は、当時の寺院の姿を今に伝える貴重な資料となっています。

伽藍の配置とその特徴

備中国分寺の伽藍は、以下のような配置が考えられています。

備中国分尼寺跡

備中国分寺の東方約600メートルに位置する備中国分尼寺跡は、天平13年(741年)に聖武天皇の命令により建立されました。尼寺の寺域は東西108メートル、南北216メートルにわたる広大なものでした。境内には南門・中門・金堂・講堂が南北の軸上に配置されていました。金堂は桁行21メートル、梁間13.2メートルの広壮な建物であり、広い基壇の中に多くの礎石が整然と残されています。これらの遺構は、当時の寺院の姿を今に伝える重要な文化財です。備中国分尼寺跡は1922年に国の史跡に指定され、今もその歴史的価値を後世に伝え続けています。

文化財の指定状況

国指定重要文化財

国の史跡

岡山県指定文化財

現代における備中国分寺の意義

今日、備中国分寺はその歴史的価値だけでなく、観光地としても多くの人々に親しまれています。田園風景の中に佇む五重塔は、吉備路を代表する景観として知られ、四季折々の自然の美しさとともに訪れる人々を魅了しています。また、近年ではサイクリングスポットとしても人気が高まっており、広大な田園風景の中を自転車で巡る楽しみを提供しています。

地域への貢献と未来への展望

備中国分寺は、地域の文化遺産として重要な役割を果たしており、その保存と活用が進められています。今後も、備中国分寺の歴史的価値を守りながら、地域社会への貢献を続けていくことが期待されています。また、観光地としての魅力をさらに高め、多くの人々にその素晴らしさを伝えていくことが求められています。備中国分寺は、過去と現在をつなぐ文化の橋渡しとして、今後もその役割を果たし続けることでしょう。

Information

名称
備中国分寺
(びっちゅう こくぶんじ)

倉敷

岡山県