祇園神社は、岡山県倉敷市児島に位置する歴史ある神社です。地元では「下津井祇園神社」とも呼ばれ、古くから地域の守り神として信仰されています。
祇園神社では、以下の神々が祀られています:
これらの神々は、海上安全や疫病除けにご利益があるとされ、古くから多くの人々に信仰されています。
祇園神社は、下津井の氏神として「祇園さん」の愛称で親しまれています。海に突き出た海抜22mの浄山(じょうやま)の上に鎮座し、その歴史は古く、境内地は平安時代に造られた旧長浜城址にあたります。室町時代には長浜宮として創建され、江戸時代には祇園宮と合祀され、「祇園神社」として知られるようになりました。
現在の参道は、幕末の文久3年(1863年)に備前藩主池田氏によって寄進されたものです。かつては、麓に料亭「金波楼」が建っていましたが、平成8年6月2日の未明に放火により焼失しました。
この地は古来から多くの合戦の舞台となりました。源平合戦(治承・寿永の乱)では、平家の一団が本州に渡る際にこの地に陣を張りました。また、南北朝時代には、足利尊氏が千艘余りの軍船を率いてこの地に滞在した記録も残っています。
祇園神社では、以下の祭事が行われています:
祇園神社の境内を囲む社叢(鎮守の森)は、瀬戸内海を臨む小高い岬に位置しており、海岸性植物が多く見られます。特にウバメガシの巨木群が特徴的で、備長炭で知られています。また、この地方では珍しい温帯性植物のクスドイゲが自生しており、学術的にも貴重なものとされています。昭和56年(1981年)には、この社叢が岡山県の郷土記念物に指定されました。
祇園神社には、江戸時代末期の記録が残されており、「祇園文書」として倉敷市の重要文化財に指定されています。この文書には、当時の商法や下津井の経済的繁栄を示す寄進についての記録が含まれています。
文化8年(1811年)、備前藩主池田斉政が長浜宮・祇園宮の両社に寄進した御座船「白鴎丸」の模型は、10分の1のスケールで作られ、漆塗りや金箔が施された豪華な装飾が特徴です。かつては例祭の際にだんじりに積んで引き回されましたが、現在は神社の収蔵庫に保存されています。