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旧野﨑家住宅・野﨑家塩業歴史館

(きゅう のざきけ じゅうたく えんぎょう れきしかん)

旧野﨑家住宅・野﨑家塩業歴史館は、岡山県倉敷市児島味野地区に位置する住宅および博物館であり、その歴史的価値から多くの建造物が重要文化財に指定されています。公益財団法人竜王会館が管理を担当し、江戸時代後期に製塩業と新田開発で成功を収めた野﨑武左衛門が建設した邸宅として知られています。また、博物館法に基づいて登録された博物館でもあります。

野﨑家の歴史と邸宅の特徴

野﨑家の成り立ちと財の形成

野﨑家は江戸時代末期から製塩業と新田開発を手がけ、その成果によって財を成しました。邸宅は、天保から嘉永年間にかけて、野﨑武左衛門が次々と建設したものです。敷地面積は約3000坪、建物の延床面積は1000坪にも及び、敷地内には本瓦葺の主屋群や6棟の土蔵が立ち並び、威風堂々とした姿を誇ります。

邸宅の構造と文化財の指定

邸内には、中央に主屋、その前方に玄関棟と表書院が配置され、正面には長屋門と御成門が構えられています。北側には内蔵などの土蔵群が並び、これらは江戸時代末期から明治中期にかけて順次建てられました。主屋座敷部や表書院には、床・棚・付書院が備えられており、質の高い空間が広がっています。

昭和52年に岡山県指定史跡に、平成18年には国の重要文化財に指定され、その建物と庭園は創建当時のまま保存されています。瀬戸内の代表的大庄屋建築として、その価値は非常に高く評価されています。

野﨑武左衛門と製塩業

塩田開発の始まり

野﨑武左衛門は、文政12年(1829年)に児島に入浜式塩田を築造し、製塩業を発展させました。入浜式塩田は、干満の差を利用して海水を引き入れ、砂の表面にしみ出させた鹹水を採る方法で、江戸時代初期から昭和20年代まで続けられました。

東野﨑浜と新たな開発

武左衛門の開発意欲はさらに広がり、天保12年(1841年)には現在の玉野市山田地区に約74ヘクタール、文久3年(1863年)には胸上地区に約20ヘクタールの塩田を開発し、これらを東野﨑浜と称しました。これにより、野﨑家は製塩業で大きな成功を収めました。

塩田の技術と労働

塩田は満潮時の海面より低く、干潮時の海面より高くなるように造られ、撒砂(さんしゃ)を利用して鹹水を採る方法が用いられました。撒砂を混ぜ返してまんべんなく湿らせるための作業は浜引きと呼ばれ、蒸発効率を上げるためにさまざまな工夫が施されました。

現代の塩田技術への移行

昭和20年代後半より、我が国の塩田は流下式塩田に転換し、ポンプで汲み上げた海水を流下盤へ流し、枝条架(しじょうか)を利用して鹹水を採る方式が採用されました。これにより、入浜式に比べて生産量は3倍に増加し、労働力は大幅に軽減されました。

旧野﨑家住宅の沿革と文化財指定

沿革

文政12年(1829年)

野﨑武左衛門、児島に入浜式塩田を築造。

天保9年(1838年)

野﨑家の長屋門・御成門が完成。

嘉永5年(1852年)

野﨑家の表書院が完成。

文久3年(1863年)

旧野﨑浜灯明台が完成。

昭和52年(1977年)

野﨑家旧宅が岡山県の史跡に指定される。

平成7年(1995年)

野﨑家塩業歴史館として博物館登録される。

平成18年(2006年)

旧野﨑家住宅が国の重要文化財に指定される。

武左衛門の社会貢献と家訓

武左衛門は、製塩業で得た財産を社会貢献にも活用しました。「新たな事業で金儲けするな」「公益性のあるものには金を惜しむな」という家訓を掲げ、捨て子の養育や窮民の救済にも尽力しました。このような活動は、地元の人々からも高く評価されました。

旧野﨑家住宅の見どころ

長屋門

長屋門は、7段の石段と堅固に積まれた石垣の上に建ち、その桁行は24メートルにも及ぶ壮麗な門です。門の両側には、住まいとして使われる長屋のような空間が広がっており、休憩所や簡易的な宿泊の場としても利用されました。

土蔵

敷地内には6棟の土蔵がきれいに並び、それぞれが異なる時代に建てられた特徴的な壁の模様を持っています。現在は2棟が改装され、展示館として利用されています。

表書院庭園

表書院の庭園は枯山水庭園で、大事なお客様を迎えるための特別な場所として整備されました。クロマツやヒノキ、ソテツなどが植えられ、初夏にはサツキの花が見事に咲き誇ります。

茶室

邸内には3席の茶室があり、それぞれが独自の特色を持っています。観曙亭は曙光を観るための場所であり、容膝亭は格式ある姿を伝える茶室です。臨池亭は庭園の枯池に臨み、静かなひとときを過ごすための場所として利用されました。

主屋と庭園

主屋は野﨑家の生活や仕事の中心であり、23間(約42メートル)もの長さを持つ九つの座敷が広がっています。主屋庭園は枯滝や苔、奇石を中心とした蓬莱式庭園で、長寿や繁栄を願う象徴として設計されています。

野﨑武左衛門の生涯と家族

野﨑武左衛門の来歴

野﨑武左衛門(のざき ぶざえもん、1789年 - 1864年)は、江戸時代後期の実業家であり、岡山県児島の塩業を大規模化させた人物です。武左衛門は備前国児島郡味野村(現岡山県倉敷市児島)に生まれ、家の再興を目指して塩田開発に取り組みました。

家業の継承と拡大

初代武左衛門の死去後、家業を継いだ孫の野﨑武吉郎(1848-1925)は、製塩業界において大きな影響を与えました。また、社会事業にも携わり、貴族院議員を務めるなど、多方面で活躍しました。

関連施設とその役割

現在、旧野﨑家住宅は児島の主要な観光地として公開されており、広大な敷地内にはさまざまな展示が行われています。また、野崎浜の塩田跡地は瀬戸大橋の開通に伴い、新市街地として再開発されました。さらに、玉野市胸上の塩田跡にはナイカイ塩業本社工場が現在も操業を続けています。

Information

名称
旧野﨑家住宅・野﨑家塩業歴史館
(きゅう のざきけ じゅうたく えんぎょう れきしかん)

倉敷

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