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由加山

(ゆがさん)

由加山は、岡山県倉敷市児島由加に位置する山岳、寺社、および地区を指します。また、これらの要素を総称したエリア名としても使われ、通称で「由加(ゆが)」と呼ばれることもあります。かつては「瑜伽山」という表記が使われていましたが、山岳名としては正式名称が「瑜伽山」であり、「由加山」は通称となっています。由加山は瀬戸内海国立公園岡山地域の一部であり、自然保護の観点から第二種特別地域に指定され、公園事業も行われています。

山岳としての由加山

瑜伽山の概要

由加山は倉敷市児島北部の丘陵地に位置し、標高は274mです。古くから磐座信仰や山岳信仰の対象とされており、正式名称は「瑜伽山(ゆがさん)」です。この名称は地図などでも一般的に使用されていますが、日常的には「由加山」という表記がよく用いられます。由加山は児島半島のほぼ中央部にあり、周囲は自然林に覆われているため、瀬戸内海国立公園の一部として保護されています。

由来と歴史

由加山の歴史は奈良時代に遡ります。733年(天平5年)、行基がこの山に阿弥陀如来と薬師如来の二尊を「瑜伽大権現」として祀り、寺社を建立しました。瑜伽大権現は、日本三大権現の一つとして数えられ、その歴史的・宗教的な価値は非常に高いものです。

寺社としての由加山

由加山の寺社と歴史

現在の由加山には、蓮台寺と由加神社本宮があり、これらを総称して「由加山」と呼ばれています。瑜伽大権現の総本山として、また厄除けの総本山としても知られており、二千年以上の歴史を誇ります。蓮台寺は733年、聖武天皇の勅願により行基が開基したとされ、室町時代初期には増吽僧正によって中興されました。江戸時代には岡山藩主池田家の祈願所としても重用され、藩主が定期的に参拝していたことでも知られています。

神仏分離とその後の歴史

もともと神仏習合の施設であった由加山ですが、明治時代の神仏分離令によって蓮台寺と由加神社が分離されました。その後、由加神社は由加神社本宮と称されるようになりました。第二次世界大戦後、国家神道の解体に伴い、宗教法人としては形式的に分離されたままでしたが、蓮台寺と由加神社は一体的に運営されることが多く、明治以前の形態に近い形で祈祷が行われていました。

現代における分裂

1998年、当時の住職と宮司であった兄弟の間に確執が生じ、由加神社が神社部分の建物を占拠し、独自の宗教法人活動を開始しました。これにより、両者の関係は完全に断絶し、参拝者が両寺社を総称して「由加山」と呼び続けている一方で、寺社間での駐車場の共用が禁止されるなど、関係が悪化しています。裁判沙汰に発展するなど、現在も両者の対立は続いています。

門前町とその歴史

由加山の門前町

由加山の参道沿いには、参拝客を迎える門前町が発展しました。この門前町も「由加山」として通称され、現在も往時の雰囲気を色濃く残しています。ただし、ほとんどの店は普段は営業しておらず、正月などの参拝客が多い時期のみ営業しています。参道沿いには、飲食店や土産物店のほか、郵便局もあり、さらに奥には住居が並んでいます。古くからの建造物が多く残されており、景観保全と町並み保存活動が進められています。

地域の名物と温泉

由加山の名物として、古くから「あんころ餅」が知られています。また、由加地区から少し離れた場所には由加温泉があり、訪れる人々に癒しの場を提供しています。かつて、由加山と讃岐国の金刀比羅宮を参拝する「両参り」という風習がありました。由加山南麓の田ノ口港が最寄りの港として栄え、田ノ口地区や唐琴地区、下の町地区なども門前町として賑わいを見せていました。

由加地区の概要と沿革

由加地区の歴史

由加地区は、かつて「山村」という村名を名乗り、南隣の白尾地区と共に児島郡に属していました。その後、田ノ口村への移管や琴浦町への移行を経て、現在は倉敷市児島由加として知られています。この地域は、蓮台寺の建立に始まり、江戸時代には岡山藩領となり、廃藩置県を経て岡山県児島郡の一部となりました。

地域の施設

由加地区には、蓮台寺や由加神社本宮のほか、由加少年自然の家や倉敷由加温泉ホテル山桃花などの施設があります。また、教育施設としては倉敷市立琴浦北小学校や琴浦北幼稚園があり、地域住民の生活に密接に関わっています。

由加山はその歴史的、宗教的な価値と自然景観が調和する地域として、地元住民のみならず、多くの参拝者や観光客に愛されています。これからも、地域の歴史と文化を守りつつ、さらなる発展が期待される場所です。

Information

名称
由加山
(ゆがさん)

倉敷

岡山県