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鬼ノ城

(きのじょう)

鬼ノ城は、岡山県総社市に位置する鬼城山(きのじょうざん)の山頂に築かれた、日本の古代山城(神籠石式山城)です。この城は既に廃城となっていますが、城壁や西門などが復元され、現在でもその姿を一部見ることができます。鬼ノ城は1986年(昭和61年)に国の史跡に指定され、2006年には日本100名城(69番)にも選定されています。また、温羅伝説の舞台としても知られています。

鬼ノ城の築城とその背景

鬼ノ城は、大和朝廷が日本の防衛を強化するために築いた防御施設の一つです。正確な築城年は不明ですが、発掘調査によって7世紀後半に築かれたと推定されています。鬼ノ城は標高397メートルの鬼城山の山頂に位置し、吉備高原の南端に位置する要地であり、瀬戸内海を望む重要な戦略的拠点として機能していました。

城の構造と設備

鬼ノ城の城壁は、すり鉢を伏せた形の山容の7〜9合目に沿って築かれ、約2.8キロメートルにわたって山を囲んでいます。城壁の内側には、面積約30ヘクタールの広大な城内が広がり、ここには礎石建物跡や掘立柱建物跡、溜井、烽火場、鍛冶遺構などが点在しています。鬼ノ城は、山城として必要な設備がほぼ整っており、未完成の山城が多い中で、稀に見る完成した古代山城とされています。

復元と保護活動

鬼ノ城は「歴史と自然の野外博物館」の理念に基づき、西門や角楼、土塁が復元されています。また、城門や水門、礎石建物跡、展望所、見学路などが整備され、一般公開されています。城内の発掘調査は総社市教育委員会や岡山県教育委員会により継続的に行われ、その成果が報告されています。

城門と防御設備

鬼ノ城には、東門、南門、西門、北門の4つの城門があり、それぞれが異なる構造を持っています。西門は主な進入路とされ、平門構造で作られていますが、他の門は懸門構造を採用しています。防御正面には、石垣で築かれた張り出し部分があり、水門は城壁の崩壊を防ぐために設置されています。また、城壁の最下部には敷石が敷かれており、石城としての趣も持っています。

城内の発掘成果と出土品

鬼ノ城の城内では、食糧貯蔵のための高床倉庫や管理棟と考えられる建物跡が発掘されています。また、12基の鍛冶炉も発見され、ここが鉄器製作の工房として機能していたことが確認されています。その他、須恵器や土師器など、多くの遺物が出土しており、当時の生活や城の機能を物語る貴重な資料となっています。

温羅伝説と鬼ノ城

鬼ノ城は、古代吉備の中心部に位置し、吉備津彦命による温羅退治の伝承地としても知られています。「鬼ノ城」という名称は、「シロ」を意味する百済の古語「キ」に由来し、後に「鬼」という漢字があてられました。鬼ノ城は、その伝承や歴史的背景から、古代日本における重要な軍事拠点であったと考えられています。

調査・研究の歴史

鬼ノ城の調査と研究は、1971年に始まりました。その後、1978年に山陽放送25周年記念事業として初の学術調査が実施されました。1990年には史跡「鬼城山」の指定地が公有化され、城内域の70%を岡山県が所有することとなりました。その後も、総社市や岡山県の教育委員会による発掘調査が継続され、その成果は多数の報告書としてまとめられています。

防衛体制と築城の目的

鬼ノ城は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて機能し、その使命を果たしたと考えられています。築城には朝鮮半島から移住した人々が動員されたとされ、その構造は他地域には見られない特異なものです。鬼ノ城の築造目的は、外敵からの防備だけでなく、地方統治の拠点としての役割も果たしていたと考えられています。

現地情報とアクセス

鬼城山ビジターセンターでは、鬼ノ城やその調査についての展示を見ることができ、駐車場も併設されています。また、城壁に沿って2.8キロメートルの散策路が整備されており、歴史や自然を楽しむことができます。アクセスは、JR西日本吉備線服部駅から約5キロメートルで、公共交通機関を利用する場合は、総社駅からタクシーを利用するのが便利です。

鬼城山の森林は健全なアカマツ林が広がり、特異な自然環境を有しています。歴史と自然が融合した鬼ノ城は、訪れる人々に古代の日本と自然の美しさを感じさせてくれる貴重な場所です。

Information

名称
鬼ノ城
(きのじょう)

倉敷

岡山県