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華鴒大塚美術館

(はなとり おおつか びじゅつかん)

華鴒大塚美術館は、岡山県井原市に位置し、公益財団法人タカヤ文化財団が運営する岡山県登録博物館です。美術館は1994年に開館し、同年にはタカヤグループ創業100周年を記念した企業メセナとしても注目を集めました。館内では、日本画家・金島桂華の作品を中心に、橋本関雪、児玉希望、横山大観などの近現代の日本画壇・洋画壇を代表する作家たちの作品約600点を所蔵し、展示しています。

美術館の建物と庭園

美術館は1993年に竣工し、岡山県内で著名な建築家・倉森治が設計を手掛けました。鉄筋コンクリート造の数寄屋風建築で、和風の落ち着いたデザインが特徴です。建物は日本瓦葺きの二階建てで、北面に高屋駅、西側には駐車場が配置され、北西側からのアプローチが美術館の正面入口となっています。館内に入ると、正面には上田宗箇流第15代家元・上田宗源が設計監理した日本庭園「華鴒園」が広がります。

日本庭園「華鴒園(はなとりえん)」

「華鴒園」は、1993年に上田宗箇流第15代家元・上田宗源によって設計された枯山水庭園で、茶道の風雅幽寂の境地を表現しています。四季折々の趣を感じさせる庭園は、美術館の風情をさらに引き立てる役割を果たしています。

茶室「長庵(ちょうあん)」

美術館開館10周年を記念して、2005年には「華鴒園」の一角に茶室「長庵」が設けられました。この茶室は上田宗箇流第16代家元・上田宗冏の監修により、伝統的な数寄屋建築を手掛ける京都・安井杢工務店が施工を担当しました。茶室は「萬物の長久」を願い、「長庵」と名付けられました。

美術館の展示施設

美術館には、第一展示室、第二展示室、そして"はなとり"展示室があり、それぞれテーマに基づいた展示が行われています。"はなとり"展示室は多目的スペースとして、お茶席や講演会などの催しも開催可能です。展示品の多くは、金島桂華をはじめとする日本画家たちの作品で、訪れる人々に日本画や洋画の魅力を伝えています。

別館「緑樹園」

2015年からは、元タカヤグループ社長・大塚長六の旧宅を改修し、美術館の別館「緑樹園」として活用しています。通常は非公開ですが、季節に合わせて数日間の特別公開が行われ、訪問者は洋室「華令の間」や和室「清高の間」などで日本画や茶道具の名品を鑑賞できます。

金島桂華の生涯と作品

金島桂華(かなしま けいか、1892年6月29日 - 1974年9月14日)は、広島県福山市神辺町出身の日本画家であり、彼の作品は華鴒大塚美術館の主要な収蔵品の一部です。彼は帝展で特選を受賞し、日本画壇において重要な位置を占めました。彼の作品は、四条派と院体風を取り入れた花鳥画で知られており、その美しさと技術は多くの後進に影響を与えました。

金島桂華の経歴

金島桂華は、広島県安那郡湯田村(現・福山市神辺町湯野)で生まれました。幼少期から絵に興味を持ち、平井直水に師事して日本画の技術を学びました。その後、竹内栖鳳主催の竹杖会でさらなる研鑽を積み、西山翠嶂や橋本関雪、土田麦僊などとともに日本画壇の発展に貢献しました。

金島桂華の業績と受賞歴

1925年の帝展での特選受賞を皮切りに、1928年の「牡丹」、1929年の「鳴子九皐」で再び特選を受賞し、日本画壇での地位を確立しました。また、1950年には日展運営会参事に就任し、その後も多くの作品を発表して高い評価を受けました。1966年には勲三等瑞宝章を受章し、1969年には京都市文化功労賞を受賞するなど、その業績は広く認められています。

金島桂華の晩年

晩年には、日展理事や顧問として活動し続け、1974年に京都市内の病院で肝性脳症のため82歳で逝去しました。彼の作品は今もなお、多くの人々に愛され、その美しさと技術は日本画の世界で輝き続けています。

Information

名称
華鴒大塚美術館
(はなとり おおつか びじゅつかん)

倉敷

岡山県