横溝正史疎開宅は、岡山県倉敷市真備町に位置する建築物で、推理作家・横溝正史が第二次世界大戦末期の1945年から終戦後の1948年7月までの約4年間を家族と共に過ごした家です。現在では、横溝正史の生誕100周年を記念して一般公開され、多くの来訪者を迎えています。
横溝正史は、1945年に義理の姉の勧めで疎開を決意し、東京都吉祥寺の自宅を引き払い、家族と共に岡山県吉備郡岡田村(現・倉敷市真備町岡田)に移住しました。ここでは、地元の人々と交流しながら、農村の因習や生活を題材に多くの作品を構想しました。
疎開中、横溝正史は『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』など、彼の代表作となる数々の推理小説を執筆しました。この時期について、横溝は後年「私の人生で最も楽しい時期だった」と述懐しています。
1948年に東京へ戻った後、疎開宅は別の所有者の手に渡りました。しかし、2002年に近隣住民の強い働きかけにより、当時の真備町(現在の倉敷市)がこの家を買い取り、「横溝正史疎開宅」として保存・公開されることになりました。住民有志による管理組合が運営を担当し、当時の面影を残しながら一般公開されています。
疎開宅の庭園は当時の姿をそのまま残し、建物内には横溝正史とその家族の遺品や、彼が江戸川乱歩と共に写った写真などが展示されています。特に奥座敷では、障子に金田一耕助のシルエットが映し出され、横溝正史の音声解説も楽しむことができます。
疎開宅は、横溝正史が住んでいた当時の状態をほぼ再現しており、家族と共に過ごした日常生活の様子が伺えます。展示品には、横溝と妻・孝子の遺品や、彼が使用していた執筆道具などが含まれています。
庭園の一角には、横溝正史の銅像が設置されており、彼の存在感を今に伝えています。この像は、疎開宅での横溝の姿を基に制作され、彼が過ごした当時の雰囲気を感じさせます。
横溝正史疎開宅は、清音駅(JR伯備線・井原鉄道)を起点とし、川辺宿駅(井原鉄道)までを巡る「金田一耕助の小径」というウォーキングコースの途中に位置しています。このコースは、『本陣殺人事件』の舞台を巡りながら、横溝正史と金田一耕助にまつわる史跡や地所を訪れることができます。
コースの途中には、『金田一耕助シリーズ』の登場人物を模したキャラクター像が設置されており、ミステリー愛好者にとっても魅力的な散策路となっています。特に、コース前半では清音駅から岡田地区までの『本陣殺人事件』の舞台を巡り、後半では岡田地区から川辺宿駅までを歩くことができます。
横溝正史は、日本のミステリー文学史において最も重要な作家の一人です。1902年に兵庫県神戸市に生まれました。幼少の頃から探偵小説に親しみ、大学卒業後は薬剤師として働きながら、本格的に執筆活動を開始しました。代表作である金田一耕助シリーズは、戦後になって発表され、日本中に大きな衝撃を与えました。金田一耕助は、独特の風貌と推理力を持つ探偵として、多くの読者に愛されています。
横溝正史の代表作としては、以下の作品が挙げられます。
金田一耕助シリーズ: 『本陣殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』など
由利麟太郎シリーズ: 『真珠郎』『蝶々殺人事件』など
人形佐七捕物帳: 江戸時代を舞台にした捕物帳シリーズ
横溝正史疎開宅は、彼の作品世界と地域の歴史を結びつける重要な文化遺産です。訪れる人々に、彼の創作活動と地域の魅力を伝える役割を果たしており、今後も地域のシンボルとして保存・継承されていくことが期待されています。
横溝正史疎開宅は、単なる観光地にとどまらず、彼の作品に触れることができる特別な場所です。作家のファンだけでなく、歴史や文化に興味がある方にとっても、一度訪れる価値のある場所と言えるでしょう。