旧矢掛本陣石井家は、岡山県小田郡矢掛町に位置し、かつて西国街道矢掛宿の本陣として栄えた歴史的な建物です。江戸時代には、参勤交代の際に大名たちが宿泊する重要な施設として利用されていました。約1000坪(約3200㎡)の広大な屋敷内には、御成門をはじめ、日本建築の粋をこらした佇まいが今も残っており、国の重要文化財に指定されています。
矢掛宿は、山陽道の宿場町として大いに栄えました。1600年(慶長5年)の関ケ原の戦いでの功績により、備中に1万石を得た小堀新助が、この地域を治めることとなりました。その後、新助の子である政一(遠州)が領地を継承し、矢掛村の発展に寄与しました。矢掛宿は、江戸時代に参勤交代の制度が確立されるとともに、宿場町としての機能を果たすようになりました。
石井家は、1620年(元和6年)に現在の場所に移り住み、1635年(寛永12年)の参勤交代の制定に伴い、本陣職を任じられました。以来、代々本陣職を務め、酒造業も営むことで繁栄しました。石井家の屋号は佐渡屋といい、戦国時代末期には毛利元清に仕えた一族が祖とされています。
現在、旧矢掛本陣石井家の敷地には、御成門や上段の間、裏門、西倉、酒倉などの多くの建物が残っています。これらの建物は江戸時代中期から後期にかけて再建され、ほとんど改変されることなく今日に至っています。特に、1832年(天保3年)に再建された御成門は、当時の大名や幕府役人が利用した門で、両開きの扉はケヤキの一枚板で作られています。
石井家には、上段の間や御成門などの迎客施設を整えた御座敷があり、これらは大名たちが宿泊や休憩に利用した部屋として、当時の姿を今に伝えています。また、酒造業を営むための主屋や内倉、西倉、米倉、酒倉なども敷地内にあり、これらの建物はすべて往時の姿を保っています。
1969年(昭和44年)、旧矢掛本陣石井家の主屋や御成門などの建造物群が国の重要文化財に指定されました。この指定は、旧矢掛本陣が持つ建築的な価値や、当時の主要街道の本陣としての歴史的意義を評価したものです。また、1983年には、宅地や附指定の隠居所と家相図も追加指定されました。
旧矢掛本陣には、江戸時代の交通に関する多くの古文書が伝わっており、その中には薩摩から徳川13代将軍家定に嫁ぐための道中で、天璋院篤姫が矢掛本陣に宿泊した記録も残っています。この記録は、当時の矢掛宿がいかに重要な宿場であったかを物語る貴重な資料です。
石井家には、篤姫以外にも多くの著名人が訪れています。例えば、江戸時代には毛利大膳大夫敬親が21回にわたり本陣を訪れており、そのうち19回は宿泊しています。また、阿部伊勢守正弘や松平薩摩守斉彬などの大名もこの本陣を利用しました。さらに、頼山陽や頼杏坪などの文人も石井家に訪れ、詩を残しています。
旧矢掛本陣石井家は、その建物だけでなく、残された多くの記録やゆかりの人物との関わりからも、非常に高い文化財的価値を持っています。これらの記録や建物は、当時の日本の交通や社会の様子を知るための重要な手がかりとなっています。
現在、旧矢掛本陣石井家は、国の重要文化財として厳重に保護されるとともに、観光資源としても活用されています。毎年11月第2日曜日に開催される「矢掛の宿場まつり」では、江戸時代の大名行列が再現され、多くの観光客が訪れます。この祭りを通じて、旧矢掛本陣は地域の歴史や文化を後世に伝える役割を果たしています。
旧矢掛本陣石井家は、その壮大な建物と豊富な歴史資料を通じて、矢掛町の歴史と文化を今に伝え続けています。観光客にとっては、日本の江戸時代の雰囲気を感じることができる貴重な場所であり、地域の誇りとして大切に保存されています。