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北木島

(きたぎしま)

北木島は、瀬戸内海に浮かぶ笠岡諸島に属する有人島で、岡山県笠岡市に位置しています。島は笠岡港から南に約15kmの距離にあります。

地理的特徴

笠岡諸島の中でも最大の島であり、2019年に日本遺産に認定されました[2]。ただし、日本国内の有人島としては小さい部類に入ります。島の北側には金風呂(かなふろ)と豊浦、東側には大浦の港があり、港の周辺に集落が形成されています。

島の地質は中生代白亜紀の花崗岩[3][4]から成り立ち、この石材は「北木石」として広く知られています。島の石切り場(丁場)は、良質な石を求めて地下深くまで掘り進められており、採掘が終わった丁場には水が溜まり、「丁場湖」と呼ばれる景観を形成しています。

北木島の歴史

北木島には古墳が3基現存しており、古墳時代から人々が住んでいたと推測されています。享徳2年(1453年)に書かれた真鍋氏系図には「柴ノ島」と記されていますが、戦国末期の書状には「北木」と表記され、真鍋氏の一族が住んでいたとされています[5]。江戸時代には1619年から備後福山藩水野氏の領地となり、その後1698年以降は幕府領となりました[6]。1834年の天保郷帳では北木島の取れ高は約224石と記されていますが、島の経済は主に漁業に依存していました[7][8]。

北木島の石材産業

北木島の石材の歴史

北木島は良質な花崗岩を産出することで知られ、その石材は「北木石」として広く流通しています。江戸時代、大阪城の石垣にも使用された石材が北木島から供出されました。また、1863年には京都を守る「西宮お台場砲台」の石材も北木島から供出されました[9]。

明治時代には、横浜正金銀行(1879年)や日本銀行本店(1896年)などの建築に使用され、北木石の名声が広まりました[10][11]。1932年には靖国神社の大鳥居や大石灯籠の石材も北木島から供出されています[11]。

石材産業の変遷

第二次世界大戦後、経済成長期に石材産業は大きく発展し、1957年には127箇所の丁場が稼働していました[12]。しかし、後に中国からの安価な輸入石材の影響で、産出量が減少し、2017年には丁場が2社にまで減少しました[13]。

北木中学校には「北木石記念室」が設置され、花崗岩の見本や過去に使用された採石道具が展示されています。これらの道具は2014年に登録有形民俗文化財に登録され、2015年度には「北木島採石場及び採石跡地の景観と石切り文化 生活道路から見えた丁場跡」が「かさおかブランド」として認定されました[14][15]。

2017年4月には、採石場に展望台が設置され、観光資源としての活用が進められています[16]。

北木島の現在の産業と観光

主要産業

現在でも北木石と呼ばれる花崗岩の採石が主要産業であり、この石材は大阪城や福山城、靖国神社の大鳥居など、国内外で高く評価されています。また、漁業も島の主要産業となっています。

県道と交通アクセス

北木島には、岡山県道295号北木島線が通っており、島の北岸と東岸に沿って走っていますが、島を一周する道路にはなっていません。

観光スポット

笠岡観光協会が発行する旅行パンフレット「またたび笠岡」には、北木島の見どころが紹介されています[17]。

丁場湖の景観

北木島では、良質な白い花崗岩を求めて地下深くまで採掘が行われており、多くの丁場では海面比マイナス数十メートルまで掘り進んだ場所もあります。採掘が終わった丁場では、深い穴に水が溜まり、垂直に彫られた崖が湖のような景観を形成しています。

基本データ

面積:7.50 km2
人口:625人(2022年10月1日時点)

アクセス情報

北木島へのアクセスは以下の通りです:

笠岡港には「住吉港」と「伏越港」の二つの港があり、住吉港は旅客のみ、伏越港は車両も運搬可能です。笠岡駅から住吉港までは徒歩5分、伏越港までは徒歩約10分の距離にあります。

Information

名称
北木島
(きたぎしま)

倉敷

岡山県