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下津井城

(しもついじょう)

下津井城は、岡山県倉敷市下津井に位置する日本の平山城です。この城は、古代から軍事・海運の要衝として知られる備讃瀬戸を臨む重要な地点に築かれました。現在は岡山県指定の史跡となっており、地域の歴史を感じることができる名所として親しまれています。

概要

下津井城は、南側に下津井の町並みを見下ろす丘陵の上に建てられた連郭式の平山城です。城の構造は、西から西の丸、二の丸、本丸、三の丸、中の丸、東の丸が直線的に配置されており、各郭が尾根に沿って連なっています。本丸には小規模ながら天守が存在していました。また、北側の丘陵には侍屋敷が配置されていました。

城跡には、石垣や土塁が遺構として残っており、江戸時代初期に廃城となったため、保存状態が良好です。現在、城跡は「瀬戸大橋架橋記念公園」の一部として整備されており、美しい備讃瀬戸の景色を楽しみながら歴史散策を楽しむことができます。

歴史

築城と宇喜多氏の時代

下津井城の築城は、文禄年間(1592年 - 1596年)に宇喜多秀家によって行われました。初代城主には浮田家久が任命され、当時の城は既に軍事的拠点として機能していたとされています。

池田氏による改修と廃城

慶長8年(1603年)、岡山藩の藩主に池田忠継が就任し、赤穂城代であった池田長政が普請奉行として城の大規模な改修を行いました。この改修により、下津井城は現在見られるような総石垣の近世城郭へと整備されました。

改修が完了したのは慶長12年(1607年)ですが、長政はその直前に病没し、完成を見ることはありませんでした。以降、池田氏の統治が続きましたが、慶長18年(1613年)の池田輝政の死後、城は次第に役割を失い、寛永16年(1639年)の一国一城令により廃城となりました。

現代の保存状況

廃城後、昭和43年(1968年)7月19日に岡山県指定の史跡となり、城跡は整備されました。現在では、桜の季節には約300本のソメイヨシノやヤマザクラが咲き誇り、多くの観光客を魅了しています。また、城門は倉敷市天城の正福寺に移築され、現存していると伝えられています。

城跡の構造

下津井城は、東西に延びる尾根筋を利用した細長い連郭式の構造を持ち、各郭が直線的に配されています。本丸を中心に、南側に二の丸、西側に西の丸、東側に三の丸が配置されており、三の丸の東には堀切を挟んで中出丸、さらに東出丸が続いています。これらの郭は、宇喜多時代のものと考えられています。

アクセスと見どころ

下津井城跡は「瀬戸大橋架橋記念公園」の一部として整備されており、散策路も設けられています。訪れる人々は、美しい瀬戸内海の景色を楽しみながら、城跡に残る石垣や土塁を見学できます。また、春には約300本の桜が咲き誇り、花見スポットとしても知られています。

Information

名称
下津井城
(しもついじょう)

倉敷

岡山県