千光寺は、岡山県倉敷市真備町岡田にある曹洞宗の寺院で、正式名称は醫王山 千光寺です。この寺院は、地域を代表する歴史ある寺院であり、その長い歴史と共に人々に親しまれています。
千光寺は、もともと「花荘庵」という祈祷寺として、馬入堂山の西北、馬入山城の南東に位置していました。この寺院は、備前常山城主である上野肥前守隆徳の城代、西薗馬入堂山城主であった岡田村三宅氏第26代徳寄によって、現在の岡田村桜に移され、曹洞宗に改宗されました。1566年(永禄9年)に創建され、当初は「全香寺(ぜんこうじ)」と称されていました。
1887年(明治20年)、千光寺は火災により本堂と庫裏を消失しましたが、その後再建され、千光寺と名を改めました。再建された本堂は、2002年(平成14年)の高祖道元禅師の750回大遠忌を機に再び修復が行われ、現在の姿となっています。
1887年の火災により、千光寺の建築年などの詳細な資料は消失してしまいましたが、寺院はその後も地域の人々によって守られてきました。岡田藩4代藩主・伊東長貞が藩邸を岡田村に移した際、毘沙門天をこの地に勧請し、その堂宇は千光寺の境内に移されたものの、明治20年の火災で焼失しました。
千光寺の本堂は、2002年に再建されました。また、坐禅堂や山門、七福神像などが境内に配置され、訪れる人々を迎えています。これらの建物は、曹洞宗の伝統を感じさせる落ち着いた雰囲気を持っています。
千光寺へは、JR西日本伯備線「清音駅」から徒歩約33分、井原鉄道「川辺宿駅」から徒歩約26分、または井原鉄道「吉備真備駅」から徒歩約38分でアクセスすることができます。どの駅からも比較的歩きやすい距離にあり、地元の人々だけでなく観光客にも親しまれています。
千光寺は、著名な推理作家横溝正史が執筆した『獄門島』の舞台として登場する寺院です。横溝正史は、第二次世界大戦末期から3年余りこの地に疎開しており、寺の名前「千光寺」と山号「医王山」も、実際に千光寺をモデルにしています。作品中には、花子が逆さ吊りにされた梅の木のモデルとなった木も登場し、その木は現在も境内に残っています。
横溝正史は『獄門島』のあとがきで、「曹洞宗の知識については千光寺の和尚・末永篤仙師の御教示に負うところが多かった」と述べており、千光寺との深い関わりがあったことが伺えます。
2018年、平成30年7月豪雨により、千光寺が所在する真備町は甚大な被害を受けました。この際、千光寺の坐禅堂を拠点に「team千の光」というプロジェクトが発足しました。このプロジェクトは、前住職・末永篤仙の孫である名合雅美を代表として立ち上げられ、「真備に千の光を ~想・願・祈~」をスローガンに掲げています。
プロジェクトの一環として、千光寺での鎮魂と祈りのライトアップが毎年7月6日・7日に行われています。このライトアップの資金はクラウドファンディングで募られ、2019年から毎年実施されています。また、臨床心理士による心のよりどころ相談や行政書士による行政手続き相談が、毎月1回千光寺の坐禅堂で開催されています。
「team千の光」プロジェクトのリターンの一つとして、『獄門島』にちなんだ「【獄門島】石鹸&千光寺御朱印入り獄門島文庫本」が提供されています。この石鹸には、真備特産の竹にちなんで竹炭が練り込まれ、千光寺の梅の木にちなんで梅の香りが付けられています。また、文庫本には現住職の直筆の御朱印が入れられています。