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舟木山 洞松寺

(とうしょうじ)

洞松寺は、岡山県小田郡矢掛町に位置する曹洞宗の寺院です。山号は舟木山と称し、本尊は宝冠釈迦如来が祀られています。この寺院は、岡山県の古い宿場町として栄えた矢掛町の南部に位置し、山間にある修行道場として知られています。

洞松寺の起源と発展

洞松寺の起源は、約1300年前に法相宗の寺院として建てられたことに遡ります。応永19年(1412年)に、喜山性讃禅師が猿掛城主荘駿河守の帰依を受け、曹洞宗の寺院として再興されました。この再興によって洞松寺は、大道場として江戸時代には末寺の数が1200を超えるまでに発展しました。2014年には、宗門が運営する外国籍の僧侶のための専門僧堂「宗立専門僧堂」が併設され、国籍や性別を問わず修行者を受け入れる広く開かれた場所となっています。

舟木山の由来と洞松寺の創建

舟木山という山号は、所在地が神功皇后の朝鮮半島出兵に際して兵船の舟材を献上したことに由来しています。伝えによれば、この地は「仙洞御里」と呼ばれ、松が植えられ「洞松の司」という名を授かったと言われています。飛鳥時代には、天智天皇の行幸の際に興福寺の光照菩薩を勧請し、仏閣が建立され、法相宗の舟木山洞松司院として創建されました。その後、和気氏によって七堂伽藍が整備され、36坊を有する規模となりました。

中世から室町時代にかけての再興

寿永3年(1184年)に安徳天皇が西海に遷幸した際、船が大破したため、洞松司院は舟材数百本を献じて「洞松寺」と改称されました。その後、中世には衰退していましたが、室町時代の応永19年(1412年)に、遠州大洞院の喜山性讃が猿掛城主庄氏の依頼により寺院を再興しました。喜山性讃は、自らが第2世となり、その師である恕仲天誾を開山としました。この再興により、洞松寺は多くの修行僧が集まる大道場となり、禅風を高めました。

洞松寺の輪番住持制と名僧たち

5世崇芝性岱禅師以降、洞松寺には輪番住持制が敷かれました。この制度は、末山や門葉の住職が順次交代することで、本寺の発展を図るものです。明暦年間(1655年 - 1657年)まで約200年間にわたり、80世の住職がこの制度を守り続けました。その後、合議により独住制が確立され、特住6世天叟寿覺老師を迎えました。

洞松寺の文化財とその意義

洞松寺文書

洞松寺には、室町時代から戦国時代にかけての古文書が43通現存しています。これらの文書は「洞松寺文書」として知られ、田地沽券や寄進状、寺領関連の文書が含まれています。これらの資料は、当時の備中国南部の経済活動を知る貴重な資料として、平成16年(2004年)に岡山県の重要文化財に指定されました。現在、これらの文書はやかげ文化センターに寄託されています。

国の登録有形文化財

平成23年(2011年)7月25日付で、洞松寺の以下の建造物が国の登録有形文化財に登録されました。

県指定文化財

洞松寺には、岡山県指定の文化財が以下のように存在しています。

矢掛町指定文化財

洞松寺には、矢掛町によって指定された文化財も数多く存在します。

洞松寺は、その長い歴史と多くの文化財を通じて、地域の歴史や文化を後世に伝える重要な役割を担っています。また、修行道場としての伝統を守りながら、現代においても広く門戸を開き、国内外から多くの修行者を受け入れています。

Information

名称
舟木山 洞松寺
(とうしょうじ)

倉敷

岡山県