鴻八幡宮は、岡山県倉敷市児島に位置する神社で、八幡宮として広く知られています。この神社は旧琴浦地区の総氏神として、下の町、上の町、田の口、唐琴の地域に影響を持つ重要な存在です。また、旧社格は県社に指定されており、その歴史的価値も高く評価されています。
鴻八幡宮は、児島半島西部に広がる由加山山系の西端に位置する甲山(標高約102m)の西麓に鎮座しています。境内は標高約20mの高台にあり、そこからは瀬戸内海を一望できる美しい景観が広がります。参道は「馬場の松原」と呼ばれる街道沿いに面しており、鳥居をくぐると土の急坂である表参道を進むことになります。参道を登ると、神門を経て正面に拝殿が見え、参拝者は東を向いて拝む形となります。
鴻八幡宮の祭神は、以下の5柱です。
これらの神々が祀られており、地域の守護神として崇められています。
鴻八幡宮の創建は、大宝元年(701年)に遡り、豊前宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられています。ただし、『延喜式神名帳』などの古文書には記載がないため、その詳細は謎に包まれています。神社には、建武3年(1336年)に製作された木製の狛犬(市文化財)が伝わっており、後醍醐天皇の皇子宗良親王が鎌倉幕府に捕らえられ、讃岐国へ流される途中で立ち寄り、祈願した際に寄進されたものとされています。本殿は安永年間(1772-81年)に建築されたもので、現在もその風格を保っています。
鴻八幡宮には、かつてコウノトリが宮山に群棲していたという伝説が残されています。寛政年間(1789-1801年)に編纂された『吉備温故秘録』によれば、参拝者はコウノトリや大蛇を恐れ、参詣を避けていたといいます。しかし、氏子一同が神に祈願したところ、神殿が震動し、大蛇がコウノトリと闘争して共に滅びたとされています。この出来事をきっかけに、「鴻の宮」と称されるようになり、周辺地域は「鴻の郷」とも呼ばれるようになりました。
かつての鴻八幡宮の社号には「甲八幡宮」や「甲社八幡」といった名称が用いられており、背後の山は甲山と呼ばれています。この山と神社の密接な関係が、地域の歴史と文化に深く根付いています。
毎年10月の第2土・日曜日に催される鴻八幡宮の例大祭は、多くの見物客を集める盛大な祭りです。この祭りでは、18台のだんじり(山車)と1台の千歳楽(太鼓台)が、表参道の急坂を駆け上がる姿が見られます。祭り囃子は「しゃぎり」と呼ばれ、7曲の異なる曲が場面によって演奏されます。この祭りは岡山三大だんじり祭りの一つとして、岡山県の無形民俗文化財に指定されています。
だんじりはそれぞれの地区で維持・運営され、幅1.5から2m、長さ2.5mから3m、高さ3mほどの大きさで、重量は1.5tから2tです。また、上の町の傘鉾のみは屋根がなく傘が載せられています。だんじりは、勇壮な姿で参道を進み、多くの観客を魅了します。
しゃぎりの曲は全7曲から構成され、それぞれが祭りの場面に応じて演奏されます。使用される楽器には、胴長太鼓、鼓、かんこ(締太鼓)、鐘、篠笛、大皮(かつて使われていた太鼓)などが含まれます。特に篠笛は高音域の音が特徴的で、祭りの雰囲気を一層盛り上げます。
鴻八幡宮では、例大祭以外にも祈年祭(2月11日)、春祭り(5月第2土・日曜日)、輪くぐり(7月15日)など、様々な神事が行われています。これらの行事は地域の住民にとって重要な年中行事であり、信仰の中心として機能しています。
鴻八幡宮には、岡山県指定の無形民俗文化財である「鴻八幡宮祭りばやし(しゃぎり)」があり、また、倉敷市指定有形文化財として建武3年に製作された狛犬(慶尊作)が1対残されています。これらの文化財は、地域の歴史と文化を今に伝える重要な遺産となっています。
鴻八幡宮の本殿は、木造(欅材)で建てられた入母屋造平入檜皮葺の建物で、安永年間に建築されました。その他にも、入母屋造平入の拝殿や花崗岩製の明神鳥居、昭和期に建てられた随神門や社務所など、多くの建築物が境内に点在しています。
境内には、若宮神社、熊野神社、龍神社、鴨神社、高良神社、荒神社、鷺神社などの摂末社があり、それぞれに重要な神々が祀られています。これらの神社もまた、地域の信仰を支える重要な存在です。
平成20年現在、鴻八幡宮の宮司は河本家が務めています。この家系は寛文11年(1671年)の宗門改め状に記載されており、田ノ口村(現倉敷市児島田の口)の庄屋としても歴史的な役割を果たしてきました。